クリープハイプの『世界観』が最高傑作である理由を考える・前編

クリープハイプの『世界観』が最高傑作である理由を考える・前編


いよいよ、クリープハイプのニューアルバム『世界観』が店着日を迎えた。改めてアルバムをじっくり聴きながら、この作品が感じさせる手応えとは何なのか、を考えている。それをつらつらと書いていたら鬼のように長くなったので、2回に分けてアップします。

あと、現在発売中のROCKIN’ON JAPANには尾崎世界観インタビューも掲載中ですのでそちらも合わせてどうぞ。

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文句なしの最高傑作。最高傑作であると同時に、名刺代わりの1枚といってもいい。これを作るためにクリープハイプは紆余曲折をたどってきたのだとすら思える。

「名刺代わり」ってメジャーデビューして4枚目のアルバム取り上げて何言ってんのと思わないでもないし、これまでの作品を悪くいうつもりは毛ほどもないのだが、聴けば聴くほど、これが、これこそがクリープハイプであるという感じがする。クリープハイプと尾崎世界観が、もう一度しっかりと等号でつながったような感じがする。そして、しっかりとイコールで結びついたクリープハイプと尾崎世界観を見て、素直によかったなあと思う。

クリープハイプの『世界観』とは、そういうアルバムだ。

チプルソとコラボレーションした”TRUE LOVE”という曲がいちばんわかりやすいのだが、このアルバムはやりたい放題である。クリープハイプらしい、っていろいろあるが、たとえば“イノチミジカシコイセヨオトメ”とか“左耳”とか”ラブホテル”とか、そういう、4ピースギターロックバンドとしての正攻法に則った曲は、このアルバムにはほとんどない。じゃああるのは何かといえば、打ち込みのリズムとキーボードの音色が印象的なクリープハイプ流R&B“5%”だったり、衝動と汗が腰を振ってブギーするロックンロールナンバー“テレビサイズ”だったり、路地裏で誰にともつかずひとりごちているような弾き語りブルース“誰かが吐いた唾が キラキラ輝いている”だったりする。

歌詞においても同様に、今作の尾崎世界観は曲ごとに、言いたいことを言いたいように歌っている。アルバムとしての整合性どころか、1曲の中での整合性すら放り投げているような曲すらある。自分の中の衝動も欲望も自己嫌悪も敵対心も苦悩も矛盾も、ストーリーやシチュエーションでラッピングすることなく、そのまま放り出している。「誰かが吐いた唾が キラキラ輝いている」という世界の見方、鏡に映る自分はどうしようもなく醜い「けだもの」だという自己認識を、否定するでも肯定するでもなく、オレはそういうもんだと剥き身でポンと投げつけてくる。

それでいいのだ。

ひねくれていて、自己中で、不親切で、疑い深くて、そのぶん孤独で、だからこそ優しさと愛を欲し続けている、そんな尾崎世界観という男は、音楽によってみんなとつながって分かり合いたいと願った。その願いがクリープハイプになり、その作品となった。その意味で、クリープハイプとは尾崎世界観のいわば「ワガママ」から始まったバンドである。“ねがいり”とか“チロルとポルノ”のような昔の曲を聴くと、ぽっかりと空いた空洞の大きさに驚く。その空洞を埋めて、心と心を地続きにするために、クリープハイプは4ピースのバンドであるという明確なフォルムと、メジャーシーンという大きな舞台を手に入れたのだ。そしてそこから、尾崎世界観の悩みと紆余曲折は始まった。

続く。後編は明日アップします。
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