plenty解散に寄せて――彼らの音楽は「夜更かしの相棒」だった

 plentyは、私にとって夜更かしの相棒だった。
日中は隠れていて、夜になると途端に姿を現す焦燥感、劣等感、孤独感。そういった感情を吹き飛ばすでも否定するでもなく、ただそこに寄り添うだけ。その距離感が一番心地好かったし、そうやって彼らの音楽に救ってもらえた夜が今まで幾つあっただろう。ひとりではどうしようもできないほど情けない日ややるせない気持ちの傍に、今までどれだけ居てもらっただろう。「plenty、解散」の言葉を目にして、そんなことを思った。

 1stミニアルバム『拝啓。皆さま』で彼らと出会ってからの約8年。当時の若さ故の尖った感性に魅了されてから、年齢を増すごとに柔らかくなっていく言葉回しや歌い回しに「人生」を重ねながら聴き続けてきた。ドラムの吉岡が脱退した時も、江沼と新田のふたりでplentyを続けていくなかで「バンドになりたい」と切に願っていた時も、ドラマーとして中村が正式加入しバンドとして音を鳴らせる喜びがそのままプレイに表れていた時も、plentyというバンドの生き様を「ひとりの人間の成長」として見てきた節がある。出会いと別れがもたらす人との関わり合いのなかで初めて知っていく感情を、無垢なまま音楽で表現できる。plentyはその才に長けているバンドだと、8年間変わらずにそう思ってきた。
だからこそ、変わりゆく彼らのこれからをもっと見たかった。まるで子供の成長を見守るような心境で、次作を待っている間も楽しんでいたかった。けれど彼らは解散を「前向きな決断」だと話す。バンドだって人との関わり合いな訳だから、それがポジティブだろうとネガティブだろうと「転機」は必ず訪れる。寂しいことだが、彼らにもその時が来たのだろう。彼らが未来を歩むために今回の別れが必要ならば、これまでの恩返しとして私たちが彼らの背中を押すしかない。今すぐにはそう思えなくても、9月に迎える最後の時までゆっくり受け入れていけたらいい。

≪朝が来るまでは僕だけが正義。≫――9月16日に行われる日比谷野外音楽堂で「朝」を迎えるまでは、まだ、私たちの蒼き日々を救っていてほしい。今は縋るような思いでそう願っている。(峯岸利恵)
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