現在発売中のロッキング・オン3月号では、キッス:ジーン・シモンズのインタビューを掲載!
以下、本インタビューの冒頭部分より。
「派手なメイクをしてステージに立つだけで50年のキャリアを築けると思っているのだったら、そういうやつには『お前、寝ぼけてるのか?』と言ってやりたい。
ものすごい努力が必要だったんだ」
●まずは50年前まで時間をさかのぼりましょう。ニューヨークのクイーンズにあるライブハウス、コヴェントリーで行われたキッスとして最初のライブを振り返ってください。
「あそこの前を通った時のことは、今でも覚えているよ。ニューヨークのクイーンズ、ウッドサイド地区にある、前はポップコーン・パブと呼ばれていた場所で、お世辞にもクールなスポットとは言いがたかった。ポール(・スタンレー)と俺はちょうど、ウィキッド・レスター(ふたりがキッスの前に所属していたバンド)を抜けたところで、リュー・リネットっていうマネージャーがついていた。(シンガーソングライターの)ダイアナ・マーコウィッツやJ・F・マーフィー&フリー・フローイング・ソルトっていうバンドとかを担当していた。後者は確かエレクトラ・レコードと契約していて、(のちに多くのキッスのアルバムをプロデュースする)エディ・クレイマーがエンジニアかプロデューサーを務めていたバンドだったはずだ。
リューはいいやつだったけど、ロック畑の人間じゃなかった。ポールと俺がウィキッド・レスターを脱退してキッスになる途中、1972年の秋にピーター(・クリス)が加わった。それから数ヶ月はトリオ編成でやっていて、そこにエース(・フレーリー)が入ったんだ」
●当時のライブでは、どんなタイプのベースを弾いていたんですか?
「まだこの時は、ライブはやってなかった。リハーサルに集中してたからね。チャーリ・ローブっていう、ハンドメイドのギターを作っているやつがいて、そいつにボディをコンパクトにしたベースを作ってくれって頼んだんだ。『大きさとボディの形はレスポール・ジュニアくらいで、2本のツノをつけてほしい』とね。これが俺オリジナルのパニッシャー・モデルの原型になった。ネックが完全に露出しているので、ギリギリのハイポジションまでスライドさせて、ギターとのハーモニーを奏でることができる。とてもベースには聴こえないようなサウンドも出せるんだ」
(以下、本誌記事へ続く)
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