これは古の言い伝えでもなんでもなく、今でも変わらない真実だ。
ロックバンドは言葉と音で現実に対抗し、僕たちは現実に対抗するためにそれを聴く。
ただ楽しい気分になりたいだけならロックじゃなくたっていい。
もし現実が大好きならロックはいらない。
だけど、最近はロックでは現実に対抗できなくなってきた。
どんどん増してくる時代の情報量にもうロックは対抗しきれなくなって、仕方がないから縦ノリにしてBPMをひたすら上げて音と言葉を詰め込んだり、ラップに近づけて情報量を上げたりして、この目まぐるしい現実に対抗する物語を語ろうとはするのだが、もがけばもがくほど言葉は軽くなり、ビートは浮足立ち、メロディーは薄っぺらになっていくばかりでロックがロックとしての本質を見失いそうになっている。
アイドルやニコ動界隈のほうが「現実に対抗する情報の量と密度」という意味ではロックを凌駕している。
そんな中で、削ぎ落とされたサウンドにもかかわらず緻密な演奏によって時間を自在にコントロールし、情緒的に見えて実は技巧的な歌詞によって壮大な情報量を一曲の中で展開しているロックバンドがいる。
それがおいしくるメロンパンだ。
こう書くと、「え?」と思う人もいるかも知れない。
おいしくるメロンパンって、せつない歌詞と線の細そうな声の、今どきなギターバンドじゃなかったっけ、と思われるかもしれない。
確かにそうではある。
デビュー・ミニアルバムの1曲目“色水”なんかは歌詞も情緒的でメロディーもせつなくて、歌声には少年性と色気が同居していて、これぞまさにミレニアル世代のバンドの一つの典型的なスタイルと言ってもいいかもしれない。
でも、それは表面的な第一印象に過ぎない。
軽く見える3人の佇まい、スリムに聴こえるサウンド、だが、その音楽の構造の内部には壮大な物語が高密度に圧縮されていて、解凍されるのを待っている。
おいしくるメロンパンの最大の魅力は、一曲の中に、一行の歌詞の中に、ワンフレーズのメロディーの中に展開される膨大なイメージと物語であり、それに触れたリスナーは現実から連れ去られてそのイメージと物語の中に一瞬で閉じ込められてしまうのである。
このロックのあり方は新しい。そして、今という時代にふさわしい。
7月25日にリリースされる最新ミニアルバム『hameln』は、これまで以上に彼らの音楽の物語性を前面に打ち出した作品になっている。
1曲ずつ聴き終わるたびに、まるで1本のアニメ作品を見終わったようなカタルシスを感じる。
フカツマサカズ氏がMVを監督した“nazca”で歌われる壮大な終末と時代の無力感、あるいは”水葬“で歌われる美しい狂気の神秘劇──こうした濃い世界観をトリオのロック・バンドのフォーマットに落とし込み、さらにそれをせつないポップ・ソングとしても機能させるというところにまでもってこれている20代前半のバンドはそうはいない。
ロックはまだまだ有効で、バンドはこれからも闘っていけると確信させてくれる作品だ。