80分を超える、規格外の心地好い束縛

トゥール『フィア・イノキュラム』
発売中
ALBUM
トゥール フィア・イノキュラム

前作から13年に及ぶ紆余曲折を経ての、まさに待望の新作である。

言い訳はしたくないのだが、まず僕自身、彼らの地元であるLAにて逸早くこのアルバムを試聴する機会に恵まれたものの、そこで作品全体を通して聴くことができたのはわずか一回だけだった、ということをお断りしておきたい。その時点で与えられていた情報は、収録曲のタイトルと、“チョコレート・チップ・トリップ”と題されたインスト曲がドラム・ソロとモジュラー・シンセがフィーチャーされたものだとの事実、そして曲と曲を切れ目なく繋げていくトラックを彼らが“セグエ(segue)”と呼んでいるということだけだった。

イタリア語の“segue”は、英語で言うところの“to be continued”にあたる。要するに“繋ぎ”ではあるわけだが、それをインタールードなどとは呼ばないところにもトゥールらしさを感じさせられる。そして、たった一回の試聴後、好きなだけ繰り返し聴くことができたのは、8月7日に先行配信が開始された表題曲のみ。とはいえ10分を超えるこの楽曲の情報量には通常のシングルなどを遥かに超えるものがあるわけだが、この曲だけが特に長尺というわけではなく、今作にはこれを含めて10分超の曲が6つも含まれている。しかも複数のセグエの存在により楽曲の境界性が曖昧になっているために、1曲1曲を独立した単体のものとして捉えにくいところもある。

ただ、それは、各曲の存在感が薄いという意味ではなく、むしろその逆で、「まだ曲が終わっていないものと思っていたら、実はセグエを含む3曲を聴いていて、いつのまにか20分以上が経過していた」といったことが普通に起こるのだ。だから実際、試聴の際にも「これはすでに次の曲なのか?」と確認せねばならない場面がいくつかあった。

今に始まったことではないが、トゥールがアルバムというものを、単なる楽曲の集合体としてではなく、アルバムという独特の単位のものとして提示しようとしているのは明らかだ。定額サブスクリプション制が一般的になり、システムが勝手に薦めてくる“気に入りそうな曲”の連続試聴が音楽との日常的な付き合い方として定着しつつある現在において、80分超にわたり聴き手の時間を独占しようとするトゥールのやり方は、時代に適合していないのかもしれない。が、いかなる慣例や常識も当て嵌まらないのがこのバンドであり、むしろ僕には彼らが、アルバムという単位の意味や重要性、一定以上の時間を費やしながら音楽をじっくりと味わうという行為の豊かさといったものを、無言のうちに説いているようにも感じられる。

そして面白いのは、いざ聴き始めれば80分以上にわたり束縛されることになるにも拘らず、意外にもこの作品が、そうした時間的な長さを感じさせないものだということ。展開の目まぐるしさゆえに短く感じられる、という意味ではない。確かに複雑に編まれた音楽ではあるが、そこに出口へと急かされるような慌ただしさは皆無で、時間はあくまで緩やかに心地好く流れていく。この音楽による束縛は、拷問ではなくむしろ癒しにも近いものなのだ。

ただ、誘われるままにその世界のなかを漂っているうちに、酩酊状態へと引き込まれていく。最終曲“モッキンビート”(この曲を含む3つのセグエは配信版のみに収録)が終わる頃には、宇宙のジャングルとでもいった、見たこともなければ実在するのかどうかもわからない風景のなかに取り残されたかのような感覚を味わわされた。それが、たった一回の試聴を終えた瞬間の気持ちだった。そして余韻として残ったのは、大変なものを聴いてしまったという興奮と、心地好い疲労感、そして豊潤な時間を過ごすことができたという充足感だった。

トゥールの音楽にはどこか、聴き手を選ぶかのような敷居の高いイメージも伴っている。しかしそこで誤解して欲しくないのは、難解さに正解を求めている音楽ではない、ということだ。延々と繰り返されるリフも、セグエの配置のあり方も、なかなか消え切らないフェイドアウトの長さも、おそらく数学的な根拠も伴っているのだろうが、基本的には4人の表現者たちの快感原則に基づいて判断されている。リサーチと計算によって導き出された答えではなく、あくまで感覚的なものなのだ。そうした意味においては、とてつもなく現実離れしているようでありながら、とても人間的でオーガニックな音楽だといえるのではないだろうか。

言い訳はしたくないのだが、僕は本稿を書いている時点で、たった一度しかこのアルバムを試聴できていない。しかしおそらく、この感触は100回繰り返して聴いた後も変わらないはずである。 (増田勇一)



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ディスク・レビューは現在発売中の『ロッキング・オン』10月号に掲載中です。
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トゥール フィア・イノキュラム - 『rockin'on』2019年10月号『rockin'on』2019年10月号
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