これは、「それでも」続く日々の為の音楽――ドラマストア、充実の2ndフルアルバム『LAST DAY(S) LAST』を語る

  • これは、「それでも」続く日々の為の音楽――ドラマストア、充実の2ndフルアルバム『LAST DAY(S) LAST』を語る - photo by 佐藤広理

    photo by 佐藤広理

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日記にメロディをつけたようなものって、「歌詞ではあるけど、詩ではないよね?」って思っちゃう(長谷川)

──今回は失われたものに目を向けている曲が多い印象もあったんです。たとえば“ダ・ヴィンチ・ブルー”では青春の記憶がモチーフになっているように感じましたし、“夏の幻”はMVを観る限り「死」を思わせるものがある。こうした曲たちが、アルバムの切なさを際立たせているなと思って。

長谷川 こういう曲を作るのは、僕が明るいだけの歌に面白味を感じないっていうのが大きいと思いますね。今は「たった3分や5分の曲でどれだけの物語が伝わんねん」と言われるかもしれないし、曲自体の受けが大事な世の中になってきたとは思うんですけど、ただ、ずっと面白いだけの話とかずっと明るいだけの話って、絶対に面白くないじゃないですか。僕は、当たり前のことを当たり前に書きたくないんですよ。日記にメロディをつけたようなものって、「歌詞ではあるけど、詩ではないよね?」って思っちゃう。

──「詩でありたい」という気持ちが強いんですね。長谷川さんの歌詞って、最初に言葉とメロが同時に出てくるという段階では、きっと言葉も感覚的なものなのだと思うんですけど、それが歌詞として完成形に辿り着く時に、生き方を綴るものや、哲学的な思索に通じるものに着地していくというのが非常に興味深いなと思うんです。長谷川さんが曲や歌詞を書く時、聴き手との共感性って意識したり、考えたりするものですか?

長谷川 ……考えたい、とは思っていますけど(笑)。考えたいとは思うんですけど、聴き手に寄りすぎるものを作ると自分のものではなくなってしまうし、自分のものじゃないものをメンバーに聴かせるのは理屈が通らへんなと思うし。届けたいこと、共感してもらいたいことをちゃんと自分のテイストで書きたい、という気持ちがありますね。それがオナニーになりすぎて反省することもあるんですけど。ただ、共感を狙って、「わかってほしい」と思って書くことはないです。むしろ、「絶対にわかってくれる」と思って書いてます。だからこそ、「こういうことあるやんな?」っていうノリでは書かないです。そういうことは、曲にするより先に愚痴っちゃいます(笑)。

──あと、8曲目の“夕立の唄”にはBIGMAMAの東出真緒さんがバイオリンで参加されています。室内楽的な美しい曲に仕上がっていますね。

松本 12曲もあったら1曲くらいは突飛なことをしてもいいかなと思って。そこで出てきたアイディアが「ベードラがない」っていう安易な発想だったんですけど(笑)。音を減らしていくうえで、「じゃあ、逆にどんな楽器が入るだろう?」と考えて、BIGMAMAの(東出)真緒さんにバイオリンを弾いてもらう案が出たんです。結果、見事なバイオリンを弾いてくれましたね。ツアーも全ヶ所一緒に回ってもらわなダメだなっていうくらい(笑)。

長谷川 楽屋、うるさくなるで~(笑)。

「楽器下手やな」と言われるより、「同じような曲ばっかりやな」と言われることのほうが嫌(松本)

──今回のアルバムは1曲目“無色透明”で始まり、12曲目“むすんで、ひらいて”で終わっていきますが、曲調は違えどどちらもシンガロングできそうな曲で、こうした曲で始まり、終わるところがいいなと思いました。

松本 そういう気分の時期だったのかもしれないです。“knock you , knock me”もみんなで歌える部分がある曲だし。前に『Invitations』というミニアルバムを作ったんですけど、それが「みんなで完成させる一枚」というコンセプトで、コール&レスポンスをたくさん含む作品だったんです。でもコロナで、ライブでの再現がほとんどできなくて。それを引きずっていたのかもしれないですね。そういえば、1曲目の“無色透明”は作曲名義がドラマストアなんですけど、これは今作では唯一セッションで作ったんですよ。アルバムが始まるにふさわしい疾走感がほしいなって。

──ドラマストアのセッションってどんな感じなんですか? 先ほども言っていたように、ロジカルに組み立てていくことが前提にあるわけですよね?

松本 そうですね、衝動で積み上げていくものではないので、多くの人が想像するセッションではないかもしれないです(笑)。

長谷川 セッションというより、ディスカッションやんな(笑)。

──その構築されたロジックからはみ出したくなることは、これまでなかったんですか?

松本 まあ、ありますね(苦笑)。うちは自分たちで「縛り」を設けがちなんですよ。「前の曲と似ている曲は作らない」というのが強くあるんですけど、「なんでこんなに自分たちの曲に縛られなあかんねん」とフラストレーションが溜まることはあって。それもこれも、僕は小さい頃からJ-POPや歌謡曲が好きで、根っこがそこにあるからだと思うんですよね。子どもの頃にJ-POPを聴いていて、理論も知らないながら「これ、同じ曲じゃね?」と思うことが結構あったんです。だから、自分がそう言われたくないんですよ。「楽器下手やな」と言われるより、「同じような曲ばっかりやな」と言われることのほうが嫌。だから、一時期は「明るい」「暗い」「速い」「遅い」って十字グラフを書いて、その中でバラバラに散るように曲を書いてました。

長谷川 僕は和也君に言ったこともありますからね、「1回、自由に書いていい?」って。でも、最初にも言ったように、今作はかなり自由にできたと思うんですよ。

松本 そう。自分たちを縛らなかったわりに、いろんなバリエーションに着地したアルバムになったなって思う。

長谷川 「できるんかい!」って感じやな(笑)。

──(笑)。アルバムを締めくくる“むすんで、ひらいて”は、どのようにして生まれたんですか?

長谷川 最初はガツンとかっこよくアルバムを締めようと思っていたんですけど、「やっぱりかっこつけて終わるのは性に合わないし、大団円っぽくしたい」と和也君が言い始めてできたんです。こういうバラードだから書ける内容ってあるんですよね。去年の暮れに東京に出てきてから一時期、「誰と遊べばいいんやろう?」っていう感じで、何もせずに終わっていくような日々を過ごしていた時期があって。そんな中で、毎週フットサルに行くようになったんですけど、フットサルの連中がすごく仲良くしてくれるんですよ。こういう仕事をしていることへの色眼鏡もなしに楽しく喋ってくれたりする。それが嬉しくて。大阪にいた頃は、サークルの会長をやっていたり、カフェの店長をやっていたり、おこがましくも人の前に立つことが多かったし、自分が居場所を「作る」側だったんです。でも、仲間に助けてもらったり、受け入れてもらったりして、「入れてもらう」側になった時に、「こういう場所こそ、居場所だったりするよな」と実感して。そういうことがあって、「人と人」の曲を書こうと思ったんです。

──それだけ「受け入れてもらう」という形で居場所を発見できたことが、長谷川さんにとって大きな出来事だったんですね。

長谷川 うん、大きかったですね。でも、こういうことって大人も幼い子どもも変わらないじゃないですか。だから、童謡のタイトルを使って、サビの歌詞もひらがなで書いたんです。「人間ってこういうことを幼少期からやっているんだよ」っていう示唆に繋がればいいなと思って。

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