【インタビュー】紫 今が明かす、バイラルヒット中“魔性の女A”の真相のすべて。「SNSバズ」をアートに昇華させるための挑戦

【インタビュー】紫 今が明かす、バイラルヒット中“魔性の女A”の真相のすべて。「SNSバズ」をアートに昇華させるための挑戦
紫 今、やはりとんでもないアーティストである。『ROCKIN’ON JAPAN』2024年3月号の「New Comer」にて「その多才さと自由な発想力で、大勢の人を巻き込んで虜にし、日本のポップスを推し進めてくれる予感がする」と紹介したが、最新曲“魔性の女A”はそれが確かであることを決定づける。

紫 今は、幼少の頃から両親の影響でアフリカンミュージックを浴びて育ち、その後ゴスペル、ソウル、ファンクなどの歌唱を学びながら、ボカロPのオタク活動をし、当然流行していたK-POPにも触れて……と、人生をかけて音楽的な素養を広く深く培ってきた人物である。3月22日にサビをSNSに投稿し、瞬く間に広がった“魔性の女A”は、そんな彼女のソングライティング力と歌唱力がこれでもかというくらいに詰め込まれている1曲だ。古今東西の音楽要素が順番に繰り広げられていく、ポップミュージックとして異質な構成のトラックを完成させて、そのうえで歌唱のニュアンスも変幻自在に表現できるのは彼女ならではだろう。パートごとに異なる国と時代の音へと移り変わる中で、国と時代によって変わっていく「美」の価値観を提示し、現代社会における重要なテーマである「ルッキズム」に対する問いかけと解放のメッセージを投げかけるという、とんでもない完成度の曲になっている。

昨今、音楽を語るうえで「SNSバズ」の是非が議題に挙がることも多いが、紫 今はすでに、「SNS」や「バズ」という社会現象を受け入れて、そのうえでどう遊んで世間を驚かせてやるかという目線を持って実践までしている。そんなところも、紫 今を抜きん出た才能を持つアーティストと呼ぶに相応しい。

インタビュー=矢島由佳子


今って、音楽がSNSバズに消費されやすい時代だと思っていて。そんな中で、逆にバズをアートとして昇華できないかなと

──またすごい曲を作りましたね。

とんでもない……ですよねえ(笑)。

──とんでもない。紫 今とはどういうアーティストであるか、紫 今ができることとは何か、それらが詰め込まれている曲だと思いました。

ちゃんと受け取っていただいてありがとうございます。本当に、やりたいことを全部やりました。

──3月22日にサビを初投稿されています。あの時点ではサビだけ作っていたんですか? それとも、なんとなく全体ができていた?

実はあの時点でもうフルが完成してました。だから話題になった時はゾクゾクしましたね。

──それは、フルを完成させていたからこそ出だしから広がったらいいなと思っていたものが実際にバズったからの「ゾクゾク」か、それとも「サビの前後も楽しみにしとけよ」みたいな「ゾクゾク」なのか──。

そっち(後者)ですね。フルが公開された時に一種の革命的なことが起こるんじゃないかなという「ゾクゾク」がありました。曲自体はやりたいことをやったという感じなんですけど、作りながら「こういうことが起こったら面白いな」と思っていたことがあって。

──どんなことでしょう。

今って、音楽がSNSバズに消費されやすい時代だと思っていて。そんな中で、逆にバズをアートとして昇華できないかなと思ったんです。それは“凡人様”でも微かにやっていたことではあるんですけど、もっと大々的に、観客が参加することで成立する現代アートみたいなことを音楽でできたら面白いなって。それを“魔性の女A”で期待していたところがあったんですけど、妄想していたことが現実になってきて、すっごくワクワクしている感じですね。

──紫 今さんの中で、どういう形の「参加」がなされることで、この曲がアートして完成されるイメージなのでしょう。

バズって、クリエイティブの連鎖だと思うんですよ。音楽がユーザーたちのクリエイティブを刺激する装置になっていると思っていて。この曲自体、人を魅力的に見せる曲を作りたいと思って、歌声も、これに乗せたら人が魅力的に見えるものを意識してました。「この歌声に乗せてモデルさんが歩いていたらより魅力的に見える」「この曲をカラオケで歌ってたらその人が魅力的に見える」みたいな。最初、女優さんとかアイドルさんの推し動画に使われていて、やっぱりこの曲の魔力にみんな反応してくれているなと思いましたね。ただ、その先でアートになるかどうかは私次第だなと思って。「消化」じゃなくて「昇華」になるためには、「こういうメッセージがある曲なんだよ」と自信を持って言えるものにしておきたかったし、フルで世間の期待を裏切る必要があったんですよね。「面白そう」と思って見てみたらとんでもない怪作だった、みたいな。バズを利用して、世間がこのとんでもない怪作にたどり着くところがアートになる曲にする必要がありました。

──曲を纏って自分を魅力的に見せる「参加」と、サビから入ったらとんでもないところにたどり着くという「参加」、その両方を成り立たせたかったということですよね。

“魔性の女A”がどういうアートなのかを考えた時に、ひとつは、紫 今が掲げる「ニューJ-POP」の提示で。実際、Twitter(現:X)に「とんでもない怪作」って書かれたり、「なんだこの変な曲は」というコメントが入ったりしたことが嬉しくて。違和感があるということは、新しいということじゃないですか。だからちゃんと新しい音楽ができてるんだなと思いましたし、ゆくゆくは私がやっている音楽も「ありきたりだよね」って言われる時代がきたら面白いなと思って、そこを目指すための開幕の曲になったかなというふうに思います。

これだけ時代や国によって世間が求める美は違うから、「じゃあもう気にするべきじゃないでしょ?」という。そんな不安定で曖昧でコロコロ変わるものにとらわれなくていい

──「こういうメッセージがある曲だと言えるものにしておきたかった」とおっしゃってましたけど、もともと紫 今さんは曲の中で議論のテーマを投げかけたい、曲を通して人と討論をしたいという想いがあって、“魔性の女A”にも明確なテーマがあると思います。そこについて聞かせてもらえますか。

ルッキズムへの風刺ですよね。ルッキズム自体を批判したいわけじゃなくて。美の魔力に逆らえないのは人間の本能だと思うから。でも、今の世間の流れは危険性を孕んでいると思っていて。条件とか流行って、ルッキズムといちばんかけ合わせちゃいけないものだけど、密接な関わりがあるじゃないですか。たとえば「こういう顔なのに、なんかきれいだよね」とかって、すごく変な褒め言葉で、気持ち悪いなと思う。特にSNSを使うような若い子たちにそこにとらわれてほしくないなと思って、その層に届くことに意味がある曲にしたいと思ってました。サビはあえて美の魔力に心酔している歌詞になっていて、そこに共感した人が曲を好きになってフルを聴きにくるわけであって、そういう人たちに届けられることに意味があるなって。

──サビからいそいそと入ったらフル尺でえらく突き刺さるメッセージにたどり着いてしまう、というところも「紫 今アート」として重要だったということですよね。しかも全体を通してパートごとにジャンルも歌い方のニュアンスも変えているのは、ただ単に複雑な展開の曲を作ろうという動機ではない。古今東西の「音」に乗せて、古今東西の「美」の価値観を伝えていることこそ、この表現の肝になっていると思います。

これだけ時代や国によって美の価値観とか世間が求める美は違うから、「じゃあもう気にするべきじゃないでしょ?」という。そんな不安定で曖昧でコロコロ変わるものにとらわれなくていいんだよ、というところを伝えたいなと思いました。自分の理想像に第三者の視点を持ってほしくないから、たとえば「世界中が不細工だと言う顔だったとしても、私はこの顔になりたいんだって言えますか?」というところを問いたくて。それでもなりたいという顔や美を目指すべきだと思う。アートの終着点としてはそこと、「ニューJ-POP」の提示ですね。

次のページ国や時代によって美の基準が変わってきた中で、最終的に現代の日本でAI美女にたどり着いていることがすごく皮肉だなと思う
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