──メンバーは、麗さんの歌詞をどう思ってますか。最初に空閑さんから「いい意味で暗い」という言葉がありましたけど、それはどこから感じるものなのでしょう。(麗は)いろんなことに「なんで?」を持つ。大量の「なんで?」が出てきて、そこから身につけたものが曲に入ってる感じがするんですよね(れんぴ)
空閑 麗の歌詞って余地があるし、なおかつ、言葉が簡単なことが多いから、文字で頑張って追わなくても聴いただけで意味を考えることができるところがめっちゃいいと思ってて。今回に関しては、自分の感覚的に暗さを感じることが多くて。暗く聴いてくれという意味じゃないです。ただ自分はそう受け取ったよ、っていう。
──その暗さは麗さん的に意識的なものであるのか、それとも空閑さんの心が映し出されているだけなのか──。
麗 曲調は暗さと明るさのバランスを取りたいなと思っているんですけど、歌詞に関しては、あまり考えてないというか。そもそも自分自身が、暗いし明るいんですよ。それがそのまま音に出てるのかなって思いますね。常に自分をアプデしようとしてる人生で、「人の振り見て我が振り直せ」的なことをいつもやってるから、暗いし明るくもあるのかな。今の自分を肯定しつつ、もっと自分が成長できるようにやっていきたいのが暗さと明るさになるのかなと、今、話を聞いてて思いました。
──れんぴさん、ごんさんはどうですか?
れんぴ さっき麗が言ってましたけど、いろんなことに「なんで?」を持つ印象はあって。何か起こるたびに誰かしらが「なんで?」って訊かれるよね。
藤井 うん、めっちゃ言う。
空閑 (目の前のコーヒーカップを持って)俺、今日これで3杯目なんですけど、「なんでコーヒー3杯も飲むの?」って訊かれました。「飲みてえからだよ」って(笑)。
麗 その人のことを知りたいんだと思います。すべてに興味があるから。なんでコーヒーを3杯飲むような人生になったのかを知りたい。
れんぴ 1年間で大量の「なんで?」が出てきて、そこから身につけたものが曲に入ってる感じがするんですよね。だから過去の曲とかを聴いてると、その時の麗を思い出すし、その時に何をしてて何に悩んでてとか、スタジオの景色まで思い返せるんですよ。
麗 写真のアルバムのように見返せる曲が集まってるのが「アルバム」。写真のアルバムと意味は同じだと思ってます。
藤井 半分以上の曲の歌詞に「?」がついてるよね。そういう人間性がめちゃくちゃ反映されてるなと思います。
空閑 だっていちばん最初のCDは『教えて』だから。
れんぴ 確かにな!
藤井 だから根本的には変わってないんだよ。
れんぴ 「なんで?」を持ち続けてるのは同じだもんね。
──なるほど。生命や宇宙における「なぜ」の問いを持って答えを探し続けるのがチョーキューメイである、とも言える?
麗 確かに。
空閑 そうですね。
れんぴ 麗に訊かれて「そういやわかんねえな」と思ったら調べたりするし。「そういやなんとなくわかってるけど詳しいこと知らねえな」とか思って調べたりするんですよ。
空閑 ちょっとだけ、「自分でググれよ」と思いながら検索する(笑)。
麗 違う違う! みんなで喋りたいの。ひとりで調べるのは全然簡単じゃん。みんなで喋って「なんでだろうね」っていうのが楽しい。それでみんな知識がつくなら面白いかなって。「なんで?」って調べて無駄だったことが一回もないからずっとやってるんだと思います。
──それはさっき言っていた「自分をアプデし続けたい」ということに繋がるものですか?
麗 あ、そうです。知識を増やしたいと思ってます。知識が増えたほうが曲も幅が広がるし、頭いいか悪いかだったら絶対に頭いいほうがいいから。
──面白いです。麗さんが表現したいこととはなんなのか、チョーキューメイとはなんなのかというテーマにおいて予想してなかったところに辿り着いた気がします。だからアルバムにおいても曲調がバラエティ豊かな楽曲が揃ってもまとまった、ということですよね。
れんぴ だから一貫性はある。
麗 そうかもしれないです、うん。
──いくつか楽曲にも触れたいなと思うんですけど、“コンプレックス・コンプ”にちなんで安直な質問をさせてもらうと、麗さんもコンプレックスはありますか。心は整形できないんですよ。心は、自分が本当に成長しようと思わないと変わらないから(麗)
麗 全然ありますね。自分が「かわいい」って言われずに育ったこともあって、「隣のクラスの◯◯ちゃんかわいいね」みたいな話になると「ふ〜ん。いやでもちょっと鼻が」とか言う人だったんですよ、私。そうやって人の容姿とかを見てああだこうだ思う、ひねくれちゃってる自分もコンプレックスでした。でも高校3年生くらいの時に仲良くなった友達が、後ろめたさなし系の「かわいい」をすごく言ってくれるタイプで。それで自分も「かわいい」って言うようにしたら、かわいいって無料なんだなって思うようになって。もっと気軽に人を褒めていいんだっていう気持ちがその時から芽生え始めたんです。その前までは、それこそ自分がそうやって育ったようにあまり人を褒めなかったし、だから自分も褒められなかったのかなって、いろいろぐるぐるしてました。体のことで言うと、足が太いとか、顔もいろいろあるんですけど、手術とか整形とかをしない理由としては、コンプレックスと戦っていく姿勢も出していきたいし、生まれたままの自分で生きることってかっこいいなって思うからで。整形とかに対しては肯定派なんですけど、自分はこの顔、体、心で生きていきたいなっていう。心は整形できないんですよ。心は、自分が本当に成長しようと思わないと変わらないから。
──名言。そういう想いから《君になれたら/コンプレックスなんて無いね》と歌うところから《僕の中の僕を愛せ。》へと変わる、“コンプレックス・コンプ”を書いたと。
麗 かわいい子みたいになりたいけど、実際その子になったとしても、その子のすべてが完璧かと言われたらそうではないし。逆にみんな「完璧ではない」という平等を持っている気がして。だから、自分は自分のままで、やり方次第でやっていけると思う。でも「かわいいあの子になりたいな」って思う、あの感じです。結局ないものねだりなんですよ。
空閑 コンプレックスを克服したい、みたいな話でもないよねえ。だけど憧れてる人になったらつまんねえだろうっていう否定もしてる。これを聴いた時に自分は、自分のコンプレックスを否定しながら肯定されてる気がしたというか。「おまえのコンプレックスはコンプレックスのままだぞ」って言われながら、「別にそれでよくない?」って言われてる感じがして。
──「ありのままでいい」とかストレートに言うわけではない感じが、チョーキューメイなりの肯定の仕方だなと思いました。この曲に限らず、麗さんは曲を通してリスナーに何を手渡したいと思いながら表現しているのだと思いますか。
麗 曲によってはメッセージが大幅に違う時もあるんですけど、「そんなに無理しなくていいんだよ」的なメッセージは全体的にあるのかな。「ホッとひと息しようや」という意味ではなくて、「こういう考えの人もいるし、あなたはあなたでいいと思うし」みたいな……でもなんだろうな。自分が聴きたい曲を自分で作るっていうモットーはあるから、麗が聴きたい曲を聴きたい人が集まって、深く刺さってほしいっていうのはひとつあります。何を伝えたいかって訊かれると難しいですけど、歌詞の解釈を楽しんでくれてるならもう刺さってるような気もします。
──アルバム1周目でいちばんサウンド面で驚いたのは“ピクニック”でした。「パンクロックをやってきたぞ!」と思ったんですけど、でもサビにはチョーキューメイらしさがあるという。
れんぴ これは「チョーキューメイ?」ってなるよね。「違う人の曲始まった?」って(笑)。
麗 こういう方向性にも希望を見出したくて。意外とこういう曲、やったことなかったので。
れんぴ “ピクニック”ができあがった時、「うわあ、俺ら何なんでもできるかもしれない」っていう希望が見えた。やってみたらなんでもきれいになっちゃうものなんだなって。
麗 こういう曲って全部が明るくなりそうだけど、ちょっとだけ切ない要素を入れたらドラマチックになるかもと思って。自分の中で、(デモを)バンドに持っていくラインとして「ドラマチックになるかどうか」みたいなフィルターがあるんですけど、それをクリアしたので採用しました。
──やっぱり1曲の中でドラマチックなストーリーを描く、というのはチョーキューメイが大事にしている要素のひとつ?
麗 そうですね。聴いていて飽きない要素はほしくて。劇的な、劇場的な曲を作るほうが自分は向いていて、そういう変化がほしくてやりがちなのかなって思います。展開が変わる曲を聴くのが好きかって言われたら、別にそうでもないんですけど。でも1曲の中で人生を感じてほしいというか。「人生いろいろあるよね」の「いろいろ」を感じてほしい。
空閑 僕が思うのは、麗って、話がいつの間にかあっち行くじゃないですか。それがまんま出てるのかなと思って。
麗 ああ、あっち行ったりこっち行ったり。そう、気が変わりやすいんですよ。「次はこっちに行きたい」っていうのをそのままやると、こういう展開になっちゃうみたいな。
──「なんで?」と同じで、いろんなことが気になっちゃったり寄り道したりする性質が、曲の展開にまで表れているということですよね。
麗 そうそう、そうです。
空閑 自分は性格的に収まりたいんですけど、どっか行っちゃったまま帰ってこないで曲が終わることがあるので、たまに心配になるんですよね。でもできあがってみんなで通した時に「正解だ」ってなるんです。不安なままで進んで、行き着いた先で正解だった、ってなる感じですね。
れんぴ 人生だね。
──本当に、それこそ人生だ。他にアルバムの曲について語っておきたいことはありますか?
空閑 鳥とアンサンブルした話、しなくていいですか?
麗 “遊泳禁止、天ノ川”はフィールドレコーディングをして、合成なしで、鳥の歌声が一緒に入りました。一発録りでいちばん生感のある曲。原産のまま流通させた感じのものになってます。
空閑 鳥があまりにきれいにアンサンブルしてるから笑って声が入りそうになりました(笑)。
ごん 1分以上鳥が歌ってたから、笑わないように全力で口つぐんでた(笑)。
──そもそもこの曲はなぜフィールドレコーディングをしようと思ったんですか?
麗 地球を感じてほしいというか。これは天ノ川目線の話で、アースを感じて聴いたら「ここが地球という星なんだな」という錯覚になりそうだなっていう仕掛けかな。単純に、レコーディングスタジオか外かって考えた時に「外だな」っていう直感もありました。
──「天ノ川から地球を見る」という視点は、今日話してくれたような宇宙や生命をテーマを常に考えている人からしか出てこないですよね。なぜチョーキューメイからこういった音楽が生まれるのか、今日はたくさん語ってもらえた気がします。最後に、バンドとして目の前の目標は?
麗 バンドとしての目標は、横浜アリーナに出たい。私が最初に観た大きいライブがRADWIMPSの横浜アリーナ公演で、それを観て「アリーナっていいな」と思ったのが始まりで。結成して1ヶ月でやったレコーディングで「この曲を横アリでやりたい」とつぶやいたことから、有言実行ムーブになってきたっていう。今回の曲もアリーナで演奏することを想像してやりたいですね。