度重なるツアーによって「バンドにいることが死ぬほど嫌になった」クリスは、すでに決定していたツアーの日程をなんとかこなした後の6ヶ月間は何もせず、バンドを辞めることも考えていたという。その後の2ヶ月間も曲が全く書けず、神経を休め、創意を回復するためにヨガをしたり、絵を描いたりしていたらしい。
それから2年経った今夜、ライブの盛り上がりはそれはすごいものだった。クリスが「君たちすごいね(You look beautiful)」と感心するのもうなずける(あんなにたくさん女の人がダイブしてるの初めて見た)。まだ開催を控えている公演があるので詳述は避けるけれど、まるで50年代のロックンロール・ショウを観ているようで、メンバー紹介の仕方からライブ恒例の「あの曲」でのコロナの瓶を使ったスライド・ギターまで、とにかくやることなすこと全部がキマっていた。
何よりも印象的だったのは、彼らの演奏の恐るべき正確さだった。特にクリスのギター。「そりゃまあプロなんだから」とか、「もう10何年もやってるんだから」とかいう以上のものがそこにはあるような気がする。ただミスをしないというだけではなく、ライブにつきものの演奏の「ぼやけ」というか、許容範囲の粗さのようなものさえほとんど感じられないのだ。バッキングのコード弾きであっても、火を噴くような高速のパッセージであっても、サウンドはどこまでもクリアで、肩の力はいつも抜けている。
彼らは見た目こそパンクっぽいけれど、実際には、テクニカルな意味でもコンセプチュアルな意味でも、かなり器用なタイプのミュージシャンなのだろう。ロックンロール、パンク、ロカビリーを始めとする各ジャンルに精通して、曲を作るときにはその曲に応じた適切な引き出しを開け、そこから必要なだけの技術とアイディアを取り出すことができるのだろう。
ただ、どんなことについてもそうだろうけど、そういう器用さが時に音楽を硬直させてしまうこともある。曲がそれ自体で自然に展開していくような伸びやかさが失われ、アイディアだけが残ってしまうのだ。クリスの半年の落ち込みには、ツアーの回数だけではなく、そうした純粋に音楽的な要因も影響していたのではないか。そうでなければ、回復した後の彼が“ウェイティング・フォー・ザ・サイレンス”や“ローデッド・ガン”といった単なる技巧性を超えた曲、はっとするコード進行があり、イントロからは予測できない展開があり、そして何よりも歌われるべきものがある曲を書けるようになった理由が説明できない。
確かに彼らの音楽に、今でいえばブルックリンのいくつかのバンドのような真新しさを見出すことはできないかもしれない。それはいわゆる「芸術的」な音楽ではない。でも彼らのステージはオーディエンスを(仮にそれが特に彼らのファンというわけでもない第三者的なオーディエンスであっても)飽きさせることがないというだけでなく、驚かせ、興奮させ、深い部分の感情を揺さぶりさえする。そんな演奏にいったい誰が不満を言えるだろうか? バンドの音楽性の新奇さと聴き手のライブ体験の新鮮さとの間にはさほどの関連性はないんだということを改めて認識したライブだった。(高久聡明)