大知と澤が、足をおもいっきりハの字型にひらきながらジャンプして(ほんとこの2人のジャンプは無駄に打点が高くていつも天井にぶつかりそう)スタートした1曲目は、最も黒猫らしい土着的なロックンロール“スピーカー”だ。ややリズムが前のめりになるのは相変わらずだけど、爆音を轟かせながらドライブするくらいの方が彼らにはちょうどいいし、バンドアンサンブルは前回よりもぐっと安定感が増している。初期衝動にのみに身を任せ無心で音を鳴らしているような4人のたたずまいは、毎回同じことを言ってしまうが、ほんとうにカッコいい。
“ノーニューヨーカー”の終盤では渡辺がスティックを持ち出して岡本と一緒にシンバルを叩きまくるわ、曲終わりにステージを調整しにきたローディに大知がいきなり抱きつくわ、“ショートパンツ”では途中で澤のアンプが倒れるわ、それを大知が「冷蔵庫が倒れてきたようなもんやろ!」と全くたとえになってないセリフで一蹴するわと、サウンドやパフォーマンスのみならず、予期せぬハプニングにまで破天荒な黒猫っぷりはしっかり表れていました。
ただ、今日のライブで白眉だったのは、中盤の“のらりのらねこ”からの3曲の流れにあった。“のらりのらねこ”で多用したギターのリバーブは、“女にロック”で大知のボーカルへと移り、たっぷりとを充満した色気と熱気を“廃人のロックンロール”でガレージ・サウンドとともに暴発させるという流れは圧巻だった。どちらかといえば、1曲1曲でタイマン勝負というタイプのバンドなだけに、曲単位を区切らずにシームレスに繋いで抑揚を描くライブ運びは、これまでには観られなかったような気がする。
本編ラストは、彼らが歴史を積み重ねていく上で間違いなくアンセムになるであろう“正義感ある殺しは許される”、“ロンリーローリン”の2曲。ただ、この2曲のロジックは全く別物で、前者が無数の拳が突き上げられそうなライブ・アンセムなら、後者は映画の主題歌にもなりそうな(インタビューで友達にそう言われたと語っていた)極上ポップ・アンセムである。こうした趣の異なる2曲を1stと2ndでそれぞれ生み出しながらもそのアンセムの射程範囲は確実に広く、深くなっている。
大知が「1stと2ndの曲を全てやりつくしたオレらにこれ以上何をやれっていうんだ!」と言い、澤が「3年前にバンドを結成してスタジオに入った時に始めてやった曲です」と言って爆音で演奏されたアンコールは、イギー・ポップの“サーチ・アンド・デストロイ”。きっちりロックンロールの歴史をなぞって(歌い出しを間違って大知が「あー間違ったー!」と言ってました)ライブは大団円…と思いきや、誰も帰らない。もう曲がないって言ったのに、誰も手拍子をやめない。すると宮田がひょっこりでてきて「もうほんとに曲がないので終わりです…ごめんなさい! ありがとうございました!」と一言。さっきまであれだけ獰猛なロックンロールをぶんぶん振り回していたのに、素になるとシャイという彼らのギャップは聞いていたが、それが最後の最後でちょっぴり顔を出したなんだか微笑ましい光景だった。
黒猫チェルシーは、偉大な先人達が鳴らしてきたロックンロールを力ずくでのりこなし、新たなロックンロールとして蘇らせることができるバンドだ。それは確かに今日の今日まで、何十万回と使い回されてきたものなのかもしれない。だけど、彼らのライブを観るといつも「ロックンロールは生きたり死んだりするもんじゃないんだぜ」そんなメッセージがビリビリと伝わってくる。借り物じゃない。今日も確かに血肉化されたロックンロールの「今」が鳴っていた。(古川純基)
1.スピーカー
2.ユメミルクソブクロ
3.オンボロな紙のはさみ
4.毛にからまって
5.ノーニューヨーカー
6.Eの流星
7.南京錠の件
8.ショートパンツ
9.排泄物 from くち
10.のらりのらねこ
11.女にロック
12.廃人のロックンロール
13.黒い奴ら
14.嘘とドイツ兵
15.地下室のテレビジョン
16.正義感ある殺しは許される
17.ロンリーローリン
<アンコール>
18.サーチ・アンド・デストロイ