ASIAN KUNG-FU GENERATION @ Zepp Tokyo

「Tour 2009~酔杯リターンズ~」のセミファイナル。って、じゃあなんで明日の横浜BLITZにしないかなあ、そしたらセットリストとか細かい演出内容とかも、書けたのに。それはもろもろ都合があったからなのですが(バンド側じゃなくてこっちに)、でも、セットリストとか演出とかを書かなくても、書くべきことも書きたいこともいっぱいある、そんなライブだったから、まあよしとします。
つまり、えらくよかったということです。すごく充実していた。ひとことで形容するなら「みっしり」という言葉が最もふさわしい。と、観ながらずっと思っていた。「これ『みっしり』だなあ」と。

まず、昨日のブログにも書いたんだけど、全体の構成、ストーリー作りがすばらしかった。明日もあるので詳しくは書けないけど、冒頭、ちょっと意外な始まり方。「おお、こういうふうに始まるんだ? へえー」と思って、次の瞬間、「あれ、前にツアーで観たのいつだっけ? 鎌倉芸術会館だ。あの時も意外な始まり方だったよな。じゃあその前は……」って記憶を辿った結果、「アジカンの始まり方はいつも意外」という結論になりました。
ちょっとだけばらすと、頭からがーんとトバすんじゃなくて、じっくりと始まる感じ。そんな序盤のあと、じわじわと温度を上げるような中盤を経て、曲が始まるたびにイントロで「オイ! オイ!」コールが巻き起こるあがりまくる後半に突入するんだけど、その流れが本当によかった。「見事だった」という言い方のほうが近いかもしれない。新しい曲をやる時間・静か目な曲をやる時間・あがる曲をやる時間、みたいな分断が、ないのだ。頭からシッポまで、丸ごと美味しい感じ。だから、客がだれたり気をぬいたりする瞬間がない。

って書くとなんか普通だけど、そんなライブをやれるバンド、いません。たいてい分断したり、新しい曲の時間は「あの代表曲早くやんないかなあ」って空気になったり、静かな曲だと「早くアガれる曲の時間にならないかなあ」ってムードになったりするものだ。このライブには、そういう時間がない。しかも、「そういう空気を避けるためにセットリストを気をつける」みたいな発想じゃなくて、「そもそもそういう概念が入り込まない世界を作る」という発想でもって、ライブを構成している感じだった。
ってわかりにくいかな、これ。えーと、たとえばですね、2時間のアクション映画を観る時、始まって10分くらいで「ああたりいなあ、早くドンパチやんねえかなあ」とは思わないでしょ? 落語を聴く時「ああ早く『半鐘はいけないよ、おじゃんになっちまう』ってオトしてくんねえかな」とは思わないでしょ? そこまでいく経過すべてが大事でしょ? それに近い感じだったのです。言うまでもないが、アジカンは、基本的には出てきて演奏しているだけの、シンプル極まりないロック・バンドだ。って事実を考えると、これ、すごいことだと思う。

あと、もうひとつ。アジカンって「更新」のバンドだなあ。と改めて思った。同じことをくり返さない。でも、いきなりガラッと新しくなって、ファンがとまどうようなことはしない。ファンがついてこれる糸口を提示しながら、でもだんだん新しくなっていく。という意味で、だから、「刷新」とかではなく「更新」なのだ。
特に耳をひいたのは、過去の曲たち。最近の曲たちが新しいのはわかるけど、過去の曲たちも、なんか新しくなっている。別にアレンジが変わったりしているんじゃなくて、プレイそのものとか、楽器の音色や鳴りとか、そういうところから、なんていうんでしょう、そう、細胞レベルから新しくなっている感じ。
つまり、小手先で何か変えようとしているのではなく、ステージに立って弾いたり叩いたり歌ったりする時のマインドの部分が、前と同じではないということなのだと思う。4人それぞれが、進もうとしているし、探そうとしているし、試そうとしているんだと思う。
そんな、やたらずっしりした、いや「みっしりした」か、手応えのあるライブでした。

なお、オープニング・ゲストのDE DE MOUSEも面白かった。本人、サポートのシンセ1人、ドラム2人、パーカッション2人という、ちょっと珍しい構成。当然リズムの嵐になるわけだけど、そのリズムの嵐の上を、ちょっと80年代っぽいシンセやボイスのループ音が軽やかに舞っているような、00年代の手法で80年代を鳴らすみたいな、そういう時間でした。(兵庫慎司)
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