仲井戸“CHABO”麗市 with 早川岳晴 @ SHIBUYA-AX

仲井戸“CHABO”麗市 with 早川岳晴 @ SHIBUYA-AX
仲井戸“CHABO”麗市 with 早川岳晴 @ SHIBUYA-AX
仲井戸“CHABO”麗市 with 早川岳晴 @ SHIBUYA-AX
仲井戸“CHABO”麗市 with 早川岳晴 @ SHIBUYA-AX
仲井戸“CHABO”麗市 with 早川岳晴 @ SHIBUYA-AX - 撮影=三浦麻旅子撮影=三浦麻旅子
ジョン・レノンが生誕70周年を迎えた2010年10月9日、ここ日本でも偉大なロック・ミュージシャンが人生の大きな節目を迎えていた。仲井戸麗市、還暦の誕生日である。今年1月から旧友のベーシスト・早川岳晴(生活向上委員会をはじめ上田正樹バンドやジョン・ゾーンのユニット、近年では麗蘭のベーシストとしても活躍)とともにスタートした全国60公演『GO!! 60』ツアーのファイナル。ちょうど還暦の誕生日となるこのSHIBUYA-AX公演は、彼を目一杯祝福しようとするファンでみっちりと埋まっていた。座席が用意された会場のチケットは、当然のようにソールド・アウトだ。

序盤、“Born in 新宿”をひとり弾き語りするCHABO。《俺は生まれた新宿 1950年/俺は今も唄ってる ここ SHIBUYA-AXで》と歌詞を変えて歌い、早々に喝采を浴びている。アコギのブルージーなスライドが、その年輪とともに刻まれたどこまでも深みのある音色を奏でていた。得意の指笛を鳴らしては「どうもこうもそういうわけで、本日、還暦を迎えました」と淡々と語り出す。フロアに飛び交うのは祝福の声だ。

CHABO:「バラバラにいうな。せーの」
オーディエンス:「おめでとうー!」
CHABO:「よせよ」

そしてベーシスト・早川岳晴が呼び込まれ、エレキのアップライト・ベースを抱えた彼とともにセッションが始まる。“ギブソン(CHABO'S BLUES)”そして“BLUE MOON”。ファンキーに弾ける曲も憂いを帯びたメロディでスウィングする曲も、早川の多彩なベース・プレイとCHABOのギターとが交錯して濃密な時間に感じられる。しかしいざ演奏が終わるとなると、途端にマイペースぶりを発揮してしまうCHABOであった。「大きい声じゃ言えないけど、60本全部を全力でやるのは無理なんだ。無理しない、という技を遂に覚えました! まあそれでも、早川と二人でアレンジを練りに練ってツアーに臨みましたが」。いやそもそも「無理しない」のであれば、こんなにチャレンジングで内容の濃い、タフなツアーはやらないと思う。

「俺は中学生のときから部屋に篭るようになって、まあビートルズとかストーンズとかキンクスとかヤードバーズがあったからそれでも楽しかったんだけど、このままじゃダメだ、外に出かけよう、とポジティブに思い始めたのは、40歳間際であります。1920~30年代のアメリカにもそういう人たちがいたみたいで、HOBOと呼んだらしいんだけど、そういう人たちのことを歌います」。カントリー風の“ホーボーへ(アメリカンフォークソングへのレクイエム)”から、今度は麗蘭のファースト・アルバムに収録された性急なボーカルとドライブするギターで転がる“アメリカンフットボール”へ。一曲毎に大きな歓声と拍手が沸き上がって盛り上がる。“アメリカンフットボール”は、ソロ曲の“ムード21”を織り交ぜたアレンジになっていた。「幅広い音楽性を誇るソングライター、仲井戸」と自画自賛のCHABOである。

同期するリズム・マシンのパーカッションに乗せて、異様にトリップ感のあるブルース・ロック“Heaven”も披露される。「ラジオDJが、このギターにサインしてくれ、ってあのボ・ディドリーの四角いギターあるじゃん? あれを持ってきて。日本だと、マーシーが持ってるのかな? サインしてあげたら、すごい興奮しちゃって。興奮ついでに、これあげます、ってそのギターくれたの。嬉しいけど、意味が分からないっていう。自分のサインが書いてあるのは恥ずかしいんで、その後丁寧に消してもらいました」。MCの語り口もいちいちキレまくっているCHABOである。「ソロ・デビューのアルバムは、某ロッキング・オンで“漆黒のアルバム”とか言われて。他人の人生を明るい/暗いで決めつけるんじゃねえぞ、渋谷陽一。まあその中でも、薄明かりが差してる曲を」と“BGM”に繋げる。皮肉混じりの陽性なロックンロールがここで炸裂するのだった。体全体を使うようにして、軽快なカッティングのリフを決めてゆく。

ツアー中、早川岳晴はステージ脇のリフトに転落して、肩甲骨の粉砕骨折を始めとする全治4週間の怪我という、大きなアクシデントにも見舞われた。「それで、その後の公演が延期になっちゃいました。今日はお詫びに、ベースのボリュームを上げています」とは早川の弁である。そしてここで、早川がウッド・ベースを演奏する彼のオリジナル曲“Ethology”に、CHABOが“読書をする男”と題された詩を乗せるというポエトリー・リーディングも披露。壁に向かって立ち、いつでも読書をしているという男の物語であった。その男の過去を想像する場面になって、早川のベース・ラインがスリリングに展開してゆく。かつて男が立っていた場所の壁に「その場所からの立ち退きを命ずる」という張り紙を見つけて物語は結末を迎えてゆくのだが、そのとき早川のベースは悲しい、弓弾きのメロディを奏でていた。素晴らしくドラマティックなポエトリー・リーディングだった。

ステージ中のMCにしても、或いは彼が手掛けた文章にしても、CHABOの言葉は極めて音楽的だ。その意味で彼は優れた言葉のアーティストでもあり、ソングライターであるわけだが、一方で彼はギタリストとしての自分自身に徹しようとする時間を、自ら設けてきたようにも思う。“LULLABY”を歌ったあと「どっぷりと暗いのを聴いてくれてありがとう。肩こっちゃった。肩こったから、みんなでちょっと騒ごうか!」とプレイされたマーサ&ザ・ヴァンデラスのカバー“ダンシング・イン・ザ・ストリート”は、AXのミラー・ボールも回る中でファンキーなギターを弾き倒し、オーディエンスによる大きなシンガロングを導き出していた。「ドラムなしでこういうのやるの、大変なのよー!」そう、ドラム・マシンから繰り出されるチープなリズムに乗せて、CHABOのギターと早川のベースが響くのだ。やっていることはまるでドラマー不在の学生ミュージシャンのようなことなのだが、これがとんでもなくグルーヴィで、情感豊かなパフォーマンスになっているのである。どう伝えれば良いのだろう。ライブレポートをするライターの立場で言えば、まるで苛められているような気持ちにさえなってしまう演奏だ。

「去年の(『I STAND ALONE』)バースデイ・ライブでは、清志郎のこともあってRCの曲をたくさん歌わせてもらいました。今回はどうしたらいいのかな、とずいぶん悩んで。ステージに出て行ってもね、それを期待されているのが、わかっちゃうんだ。でも、それぞれのステージでひとつふたつ歌ってきて、良かったと思います。今日も歌わせてくれー」と、まずは忌野清志郎、生前最後のスタジオ・アルバム『夢助』から、CHABOとの共作曲となった“毎日がブランニューデイ”である。演奏の最後には“激しい雨”の一部も少しだけ、差し込まれた。そして“君が僕を知っている”。跳ねるギター・フレーズを弾きながら、歌詞をオーディエンスに丸投げしてしまう。

「この曲を、いつも清志郎はこういうMCで初めてたんだ。《この曲は、日本が生んだリズム&ブルース、ミディアム・テンポの最高傑作です》。俺もそう思います」。オーディエンスとともに長く拍手し、天を指差してはまた拍手するCHABO。「清志郎は、声が高いです。一番合うのは、Dのコードです。Dだと、解放弦が多いからギタリストとして貢献できることは少ないんだけど、この曲の間奏と“雨あがりの夜空に”のイントロは、数少ない俺の自慢です……ずっと言いたかったけど、初めて言った」。名MCが連発のステージにあって、このときの言葉にはとりわけ胸が熱くなった。まさに“君が僕を知っている”の絶品エピソードだ。「でも俺、Dだと高くて歌えないから、Aでやることにしたの」と、間奏の鮮やかなフレーズを再び聴かせる。「4ヶ月練習しました! どうだ、弾けたぞ清志郎!」。

そしてクライマックスは、清志郎に捧げられた“夏の口笛”から「みんなはどうしてロックンロールに出会った? 俺のそんなことを歌った歌を聴いてくれ」と“My R&R”へ。温かい、トロピカルなギターのメロディが流れ出す。CHABOの還暦を祝うというより、逆にすべての人々のロックンロールとの出会いが祝福されてしまっているような、そういうライブだった。

“ティーンエイジャー”で始まったアンコールには、ビートルズの“バースデイ”に乗って、花束を持ったTHE BOOMの宮沢和史や寺岡呼人、フライング・キッズ浜崎貴司、そして清志郎のご子息タッペイくんらがステージに登場し、土屋公平が巨大なバースデイ・ケーキ(写真はコチラ。RO69兵庫氏ブログより→http://ro69.jp/blog/hyogo/41409)を押して現れた。改めてCHABOの還暦を祝うムードだ。CHABOの還暦バースデイ・ライブともなれば、こういった面々が集まって、豪華なセッションを行うことも容易だったはずである。しかしCHABOは、ただ今、自分がやりたいパートナーとやりたいツアーをやって、それをこのファイナルでも完遂していた。還暦というスペシャル感はもちろんあったが、パーフェクトなまでに「今のCHABOのライブ」なのである。それが凄まじく格好いい。

「1980年代が明ける直前、リビングであいつはこういったんだ。《なあCHABO、ライブの終盤に盛り上がるような曲が、欲しくないか?》《そうだな。じゃあこんなリフはどうだキヨシ》」。「OK! CHABO!!」の掛け声で“雨あがりの夜空に”のイントロ・リフが立ち上がる。もはや日本のロック・ファンの遺伝子に組み込まれているのではないかという、あの掛け声とあのリフ。またもやCHABOは歌をオーディエンスに丸々預け、俺の仕事はこれだ、とばかりにギターを弾いていた。

歌詞を噛み締めるようにして歌う“ガルシアの風”から、満天の星空が煌めくステージでのアーロ・ガスリーのカバー“ホーボーズ・ララバイ”へ。美しいフィナーレだ。腕時計を観たら開演から4時間が経過していて我が目を疑ったが、それほど時を忘れるぐらい濃密で、素晴らしいショウだった。時折、自分が演奏した曲のフレーズや歌詞を、あとになって反芻している瞬間のCHABOが僕は好きだ。いちいちそういうことをしているからステージが長くなるのだが、自分で組み立てた模型やバイクを眺めている少年の目線と、或いは好きな曲のことを考えているロック・ファンの目線と、同じなのである。ロックンロールは、どこまでも稚拙で如何わしくて、近所迷惑な音楽なのかもしれない。でも一方でロックンロールは、こんなにもクールで美しい60歳を育てることができるのだ。(小池宏和)
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