曽我部恵一 @ 渋谷クラブクアトロ

曽我部恵一 @ 渋谷クラブクアトロ
曽我部恵一 @ 渋谷クラブクアトロ
曽我部恵一 @ 渋谷クラブクアトロ
曽我部恵一BANDでもサニーデイ・サービスでも曽我部恵一ランデヴーバンドでもない、そして弾き語りでもない曽我部恵一ソロ(音はバンド仕様)としては、じっつに久々になるアルバム『PINK』のリリース・ツアーの東京編、渋谷クラブクアトロ。15時くらいに、曽我部がtwitterで「当日券出ます」とつぶやいていて、「あれ? 売り切れてないんだ? 動員きついのかなあ」と心配しながら行ってみて、クアトロのホールのドアを開けて、「売り切れなかった」のではなく、単に「売り切れってことにしなかった」だけだ、ということがわかりました。みっちみち。おそろしい超満員。

まだツアー途中なので具体的には書けませんが、『PINK』の曲はもちろん、それ以外も、「ソロ曽我部恵一」の曲を中心にしたセットリストでした。「中心にした」ということは、そうじゃない曲もちょっとはある、ということだけど、軸はソカバンでもサニーデイでもなくソロとしてリリースした曲。ニュー・アルバムのツアー、というよりも、「ソロ曽我部集大成ツアー」みたいなニュアンスも、ちょっと感じた。
バンドは、ギター:木暮晋也、ベース:伊賀航、キーボード:横山裕章、ドラム:北山ゆう子、パーカッション&スチールドラム:高田陽平、ハモンドオルガン:ヤマグチユキノリ、あと曽我部、の7人編成。伊賀・横山は、ランデヴーバンドのメンバーでもあります。あと星野源バンドのメンバーでもありますね。木暮さんは、ヒックスヴィルで小沢健二でオリジナル・ラヴでフィッシュマンズでロッテンハッツで、あとLEO今井もやってたな、あのひっぱりだこの木暮さんです。

で。曽我部、途中のMCで、「ソロ・デビューしてから10年です」と言っていたが、このバンド編成、そして出している音、その、10年前のソロ・デビュー時に、とても近いのだ。あの、小西康陽のレーベルからシングル“ギター”を出して、年が変わった2002年に本格的に始動して、アルバム『曽我部恵一』を作って、ライブを始めた頃、こんな感じの大人数バンドだった。同じ7人だったか、まったく同じメンバーだったかどうかは憶えていないが、北山ゆう子と伊賀航はいたと思う。木暮さんはいたっけな。キーボード、高野勲だったっけ、違ったっけ。ROSE RECORDSに電話してきこうかと思ったんだけど、この当時、ROSEはまだなかったのでした。曽我部、大学の頃の先輩とふたりで「MUGEN」って事務所を作って、そこがマネージメントだった。その先輩にきくわけにもいかないし。
ああもう。なあんで憶えてないかなあ俺は。

と、その当時のバンド編成にこだわるのは、理由がふたつあります。
ひとつめは、その当時、私、その「ソロでライブする曽我部」に、仕事として関わることが多かったのです。たとえば、「曽我部本格的にソロでライブ活動スタート」の1発目は、当時ロッキング・オンが赤坂BLITZで毎月行っていたイベント『JAPAN CIRCUIT』のステージだった。頼んで、出てもらったのでした。その3ヵ月後には、『ROCK IN JAPAN FES.2002』で、レイク・ステージのトリ前に出てもらった。それは確か、キーボード:高野勲とベース:伊賀航、3人編成によるアコースティックなライブでした。そういえば、その「ROCK IN JAPAN」の1週間前に、フジ・ロックのフィールド・オブ・ヘヴンに出て、それも観に行った。そっちはフル編成のバンドでした。
というふうに、当時とても密だったのに、憶えていない自分が腹立たしいわけです。

で。もうひとつは、そんなふうにバンド編成は似ているのに、10年前とはまったく違う印象のライブだったことだ。ひらたく言えば、全然今回の方がすばらしい。というか、これ、当時は感じなかったし、今だからわかることだけど、あのソロ始動した当時の曽我部って、「これでいくんだ! 音源はこういう内容で作って、ライブはこういう編成で、こういう感じでやるんだ!」みたいな、確固たるビジョンが、なかったのだ。「アルバム、なんとなく、こういう感じかなあ……」「で、ライブは、こういう編成で、やってみるけど、いいのかなあ……」みたいな気持ちだったのではないか、と思う。
よく憶えてるんだけど、その、2002年のROCK IN JAPAN FES.で、超満員のレイク・ステージに出て行く直前、バックステージに激励に行ったんだけど、あの時の曽我部、あとにも先にも見たことないくらいテンパっていた。目がうつろだった。というか、意識があるのかないのかわからないみたいな、とんだ目をしていた。すんごい緊張していたんだと思う。なんですんごい緊張したのかというと、自信がなかったんだと思う。

その2年後くらい。ソロ・アルバムの3枚目『STRAWBERRY』を出して、ライブのバックをダブルオー・テレサが務めるようになって、ROSE RECORDSを設立して、バックが上野くんとケニーを残してオータくん入って曽我部恵一BANDに変わったあたりの時期から、音楽的にも、ライブ活動も、「よし、こっちだ!」と、方向が定まってきたように思う。じゃあソロ初期にやっていたことは、間違っていたのかというと、そんなことはないと思う。じゃなきゃ、ソロの1枚目に入っている“Telephone Love”が、いまだにライブにおける重要なアンセムになっていたりしないだろうし。
つまり、今考えれば、当時も別に間違っていなかったんだけど、ただ、本人に自信と確信がなかった、ということです。で、10年経った今、自信と確信を持ってあれに近いことをやると、はたしてどんなものになるんだろう。というのが、『PINK』と、このバンド編成によるツアーである、ということなのだと思う。

という解釈はいかがでしょうか、曽我部さん。そのくらい、いいライブだったので。
私、連休前にたて続けに2回、曽我部恵一BANDのライブを観たばかりだったので、「また曽我部観るのかあ、でも久々のソロ・ツアーなのに行かないのもちょっとなんだよなあ」などと、本人が知ったら激怒しそうなことを思いながら足を運んだんだけど、頭っから最後まで、すっかり夢中のまんま約2時間半をすごしました。(兵庫慎司)
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