2003年に他界したエリオット・スミスの1998年のインタヴューの一部が動画として公開されている。
動画はアメリカの公共放送局として知られるPBSが製作したもので、これまでの放送などで使われたアーティストのインタヴュー音源とアニメーションを組み合わせた動画クリップとして公開するブランク・オン・ブランク・シリーズのひとつ。今回の素材となった取材が行われた1998年はアカデミー賞授賞式で"ミス・ミザリー"のパフォーマンスを披露し、『XO』をリリースするなど、エリオットの活動が大きな飛躍を見せた年だった。
取材は音楽ジャーナリストのバーニー・ホスキンスが行ったもので、周囲との違和感についてエリオットは次のように振り返っている。
「エルヴィス・コステロのアルバムのいくつかは高校時代のぼくにとって、完全なフリークみたいな気分になるのと、ただの一人のフリークな気分になるのと、その違いを教えてくれたものだったんだよ(笑)。つまり、たくさんいるそんなフリークの一人だと思えるってことだね」
さらに薬物やアルコールの依存症の楽曲についてはどれだけ自身の経験が反映されているのかという問いにエリオットは「もちろん、ぼくは確実にその中の一人になってるんだけど、ただ、だからといってこの内容がぼくの手記だというわけじゃないんだよ」と答えている。その一方で、この質問でホスキンスが「中毒者」と言わずに「依存者」と呼んだことについて次のように感心してみせている。
「そうだね、確かに依存者と呼ぶのっていいことだね。実際、そういうところがこういう曲の趣旨だからね。曲で薬物とかそういうことについてのみ綴るっていうことじゃないんだから。人がなにかに依存する形もたくさんあるわけだし。人に依存したり、薬に依存したりとね。誰だってそういうものを抱えてるものじゃないのかな、相反する衝動を抱えてるっていうか。常にそういうせめぎ合いがあって、それを毎日、いつも繰り返してきて、たまにしんどくなるんだ。でも、たまにはそこから誰かにわかってもらえるような夢を紡ぎ出すこともできるんだよ。人の内面っていうのは……本当に混沌としているものだけど、でも、それをなんかしらのフィルターを通すことで、たとえば、レコードという形にしてみることで、他人にもわかるものになるんだよ。混沌やカオスを表現するのって難しいことだし、なにかの欠落もまた表現するのは難しいものなんだ。やっぱりなにかそこに在るものが表現しやすいわけで、なんかしら形のあるものとか状況とかね。たとえば、人がカオスのように振る舞うことはできるけど、それを作品にするというのはすごく難しいことなんだ。本当に難しいんだよ」
さらに自身の楽曲が持つ得も言われぬ肌合いや情感についてはどう思うかという問いにエリオットは次のように語っている。
「ぼくの曲は自分にとっては悲しくなったり、悲しい気分になったりするものじゃないんだけど、その一方で、たくさんの人がぼくの曲を聴いて落ち込んだ気分になったりするものなんだね。ぼくに関して言えば、ハッピーな時もあるし、そうじゃない時もある。たとえば、すごく気に入った映画を観たりすると、感動したとか、なんでもいいんだけど、そういう時には嬉しいのと悲しいのを同時に味わうような感じなんだよね。うん、でも、ぼくのある種の曲は言葉じゃ言い表せない感じを持ってるものなんだよ。ハッピーなものじゃないんだけど、特に悲しいっていうわけでもなくて、ぼくとしては言葉じゃ説明できないんだ」
エリオットの発言アニメ動画はこちらから。