2013年の東京ドームでの来日公演をライヴ盤『Tokyo Dome Live in Concert』として3月31日(火)にリリースするヴァン・ヘイレンだが、エディ・ヴァン・ヘイレンはオランダから移民して間もない少年時代について振り返っている。
エディの父親は管楽器奏者で兄アレックスと母とともにオランダからアメリカへ移住したことで知られているが、当時のことを次のようにAP通信に語っている。
「地球を半分ぐるりと、お金もなければ仕事もなく、住む場所もなく、英語も喋れない状態で渡ってきたんだよね」
さらに英語が喋れないため、白人扱いは受けていなかったことを次のように振り返っている。
「信じられないかもしれないけど、俺が行った最初の学校ではまだその頃でも、白人じゃない生徒は学校のグランドの片方に、白人はもう片方にって遊ぶ時にも居場所を分けられてたんだよね。当時の俺は二流市民扱いになってたから、黒人側の方に放り込まれたんだよ。大変だったけど、音楽が俺たち一家の絆になってたし、それで救われたんだよ」
また、エディの代表的なギターとなり、さまざまなギターのパーツを組み合わせた「フランケンストラト」についてはどう思いついたのかを次のように語っている。
「ギブソンとフェンダーを一緒くたにしたかったんだよ。あれを俺が作ってから世界中のギター・メーカーが同じようなものを作るようになったんだけど。でも、それ以前にはね、フェンダー・タイプやストラトキャスター・タイプのギターで、ハムバッカー・ピックアップを装備したギターなんてなかったんだよ。ほとんどの人は俺が当時なにをやりたがってたのかわかってなかったし、俺も手の内をさらしたくはなかったからわざわざ話すようなこともしなかったんだよ」