ザ・レヴォリューションのウェンディ・メルヴォワン、自分たちがプリンスの最後のバンドだったと語る

ザ・レヴォリューションのウェンディ・メルヴォワン、自分たちがプリンスの最後のバンドだったと語る

プリンスの80年代の黄金期を支えたザ・レヴォリューションが4月からアメリカでツアーに乗り出すが、ギターのウェンディ・メルヴォワンがツアーの展望や実現の経緯を語っている。

今回のツアーはウェンディのほか、キーボードにリサ・コールマンとマット・フィンク(ドクター・フィンク)、ベースにマーク・ブラウン(ブラウンマーク)、ドラムにボビー・Zという最も有名なラインナップになっているが、プリンスの命日となる4月21日にミネアポリスのペイズリーパークでのライブからツアーが始まることが発表されている。ツアーは7月までアメリカを回ることになっている。

ローリング・ストーン誌の取材に応えたウェンディはメイン・ヴォーカルについては曲によってまちまちになると語っていて、曲によっては誰かしらのアーティストに歌ってもらうが、別なタイプの曲ではバンドでヴォーカルを取ることになると説明している。「特にバンド用になってる曲、たとえば、"Let’s Go Crazy"とか"Controversy"とか、あるいはグループ・ヴォーカルがあるような曲についてはわたしたちで歌を取ることになる」とウェンディは語っていて、逆に"Darling Nikki"のような楽曲については誰かしらに歌ってもらうことになるという。また、そうしたゲスト・ヴォーカルについては、公演地によって変わってくるとウェンディは説明していて、さらに"Purple Rain"のような曲については会場のみんなと一緒に歌えばいいのではないかと語っている。

ザ・レヴォリューションはプリンスのバック・バンドとして出発し、1982年の『1999』期からリサ、マット、マーク、ボビー・Zのほか、ギターにはデズ・ディッカーソンというラインナップが完成した。この頃からザ・レヴォリューションとして呼ばれるようになったが、正式にバンド名としてクレジットされるようになったのはデズが脱退し、ウェンディが参加した1984年の『パープル・レイン』期からだった。ブラック・ミュージックとロックの壁を越えた大ブレイクとスーパースターダムを手にした時期のプリンスを支えていたのがこのレヴォリューションで、『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』、『パレード』という傑作生み出しながら、86年9月の横浜スタジアムでのツアー・ファイナル・ライブを最後に解散することになった。

その後、プリンスはニュー・パワー・ジェネレーション(NPG)をバック・バンドとして率いることになったが、凄腕ミュージシャンという側面がより強調され、プリンスがバンドとのコラボレーションの余地を残したのはザ・レヴォリューションが最後だったといわれている。

2000年代にはプリンスからレヴォリューション時代の音源と新曲を仕上げてしまいたいとウェンディとリサにコラボレーションとプロデュースの依頼を持ちかけていたことが明らかになったが、条件が合わずそのまま立ち消えとなっていた。

今回のレヴォリューションとしての再結成のきっかけとなったのはもちろん昨年4月のプリンスの死で、その2日後にミネアポリスにウェンディ、リサ、マーク、マット、ボビーが集い、なんかしらの形で必ず戻ると語った動画を公開し、その後9月に映画『パープル・レイン』にも登場するミネアポリスを代表するライブ・クラブ、ファースト・アヴェニューで単独トリビュート・ライブを決行した。ライブには初期のバンドのメンバーだったアンドレ・シモンやデズのほか、『パープル・レイン』にも出演したアポロニア、あるいはプリンスの元妻のマイテ・ガルシアやマニュエラ・テストリーニ、さらにウェンディの双子の妹でレヴォリューション末期にバンドに参加し、プリンスと恋仲にもなったスザンナ・メルヴォワンらもステージに登場した。なお、昨年10月にはスティーヴィー・ワンダーやザ・タイムなど84アーティストが集った大掛かりなトリビュート・ライブも行われたが、ウェンディとリサの仕事のためレヴォリューションは参加できなかった。

なお、必ずレヴォリューションとして戻るという動画を発表した後、ウェンディとリサのもとにはおびただしいほどの出演や共演のオファーが舞い込んできたというが、レヴォリューションとしての活動をまず立て直すことしか考えられなかったとウェンディは振り返っている。また、プリンスが他界してからの死因の発表や遺族の動向をしっかり見守っていくことも必要だったと語っているが、プリンスがこの世にいなくなってしまったということは到底折り合いのつくようなものではないと明かしている。

レヴォリューションが解散してからのプリンスのバンドについてはどう感じていたのかという問いには受け持ちのパートを極め尽くすようなメンバーを揃えていたように思うと答えていて、自分たちはそういうミュージシャンと較べると下手くそだったとしながらも、バンドだったとも振り返っていて、「ボビーがいつもこう言ってるのよ、『自分たちのバンドがプリンスが最後にいたバンドだったんだ』って」と語っている。
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