クリープハイプ・尾崎世界観が「今、お茶の間に向き合う」という挑戦について

クリープハイプ・尾崎世界観が「今、お茶の間に向き合う」という挑戦について
この8月に、フジテレビ『めざましテレビ』のマンスリーエンタメプレゼンターを4週にわたって務め上げたクリープハイプ・尾崎世界観。おすすめの書籍を紹介するコーナー「尾崎図書観」では、あの新井賞の立役者でもある書店員・新井見枝香のエッセイ『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』をはじめ、河﨑秋子『颶風の王』、木村紅美『雪子さんの足音』、窪美澄『じっと手を見る』と、近年話題の女性作家作品が紹介されていた。

尾崎自身がすでに広く知られる文筆家で、大手書店とタッグを組んだ企画「世界観文庫」も行われたりしたから、書籍紹介のコーナーは合点が行く。しかし正直に言えば、尾崎世界観を朝のテレビで見るというのは、最後までワクワク、ハラハラ、モヤモヤとさせられっぱなしの心の忙しない時間だった。どうしたって、朝の番組の溌剌とした快活な雰囲気は、もともと脳内に刷り込まれている尾崎のイメージにはそぐわない(楽しそうに見えたけど)。番組にとってのスパイス的な役回りは、制作側も本人としても目論見通りだったのかもしれない。

気になるのは、尾崎世界観が全国の朝のお茶の間に顔を出すという挑戦(そう、明らかに挑戦だった)を経てまで、たどり着こうとしているステージはどんな場所だったのか、ということだ。思い返してみれば、2018年に入ってNHK『みんなのうた』として届けられた“おばけでいいからはやくきて”はひとつのターニングポイントだった。クリープハイプが『みんなのうた』!? という驚きをあっさりと覆したこの尾崎節でしかありえない名曲は、当初2~3月の放送だったにもかかわらず、この8~9月金曜にも再放送されるほど広く親しまれる楽曲になった。

そして9月26日にリリースされるクリープハイプ2年ぶりのニューアルバム『泣きたくなるほど嬉しい日々に』。これは、尾崎世界観が今春から『ダ・ヴィンチ』誌上で連載しているエッセイと同じタイトルであり、新作収録曲“泣き笑い”の歌詞の一節にもなっている。抜き差しならない日々のディテールに踏み込み、記憶の中の情景ごと心を揺さぶるクリープハイプは、その数々の歌の力を、あらためて広く世に問おうとしているのではないか。

《泣きたくなるほど嬉しい日々に/答えはないけど手をあげてよ/恥ずかしい今も抱きよせて/間違っても笑ってよ》(“泣き笑い”)

曲調もアレンジも、クリープハイプ史上最高のレンジの広さを誇る新作『泣きたくなるほど嬉しい日々に』では、映像作品の主題歌である“イト”や“一生のお願い”、大ぶりなロックサウンドのアレンジで生まれ変わった“陽”などいくつものタイアップ曲が収録されているけれども、それ以上に音の手応えにこそ、人々と出会い対話の機会を得ようとする意志の広がりを感じさせている。

尾崎世界観は、間違いなく優れた言葉の使い手だ。しかしそもそも、ロックアーティストとして、シンガーとして立つ彼は、言葉にならない泣き声で全身全霊の主張をする赤ん坊のような衝動を、いつでも胸の内に抱え込んできた。愛憎入り混じった思いを叫ぶように吐き捨て、同時にその姿は泣きじゃくっているようでもあり、自業自得の擦り傷だらけになって転げ回っていた。新作『泣きたくなるほど嬉しい日々に』でも、それは本質的に変わっていない。

ついこの間まで泣き叫んでいるだけだった小さな子供が、あるとき、どこで覚えてきたんだという言葉を放って驚かされることがある。彼らはそのとき、あらん限りの力で真っ直ぐに世界と対峙しようとしている。それと同じように、『泣きたくなるほど嬉しい日々に』のクリープハイプは、あらん限りの音楽的ボキャブラリーを駆使して世界と対峙しようとしているのだ。10月から始まる全国ライブハウスツアーと同じタイトルを持つ新作収録曲では、こんなスポークンワードが挿し込まれていた。

《昔昔あるところに独特の世界観を持ったバンドがおったそうな/変な声だと村人から石を投げられて泣いていたバンドを救ったのは変な感性を持った変な村人だった》(“今今ここに君とあたし”)

クリープハイプは、尾崎世界観は、世界と和解したわけではない。ただ、どれだけドロリと黒く澱んだ人の心の闇を覗き込んだとしても、世界と対話することを諦めなかっただけだ。朝のテレビ番組で尾崎世界観を見かけた人と同じぐらいの数の、全国津々浦々の《変な村人》たちが、今のクリープハイプの歌と出会うことを切に願う。(小池宏和)
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