クリープハイプは他の「バンド」と何が決定的に違うのか?『バンド』を読んで考えた

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  • クリープハイプは他の「バンド」と何が決定的に違うのか?『バンド』を読んで考えた - 書籍『バンド』

    書籍『バンド』

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今までバンドをやってきて 思い出に残る出来事は
腐る程された質問に 今更正直に答える
2009年11月16日 アンコールでの長い拍手
思えばあれから今に至るまで ずっと聞こえているような気がする
(“バンド”)

かつてクリープハイプのアルバム『世界観』(2016年発売)を初めて聴いて、最終ナンバー“バンド”へと至ったとき、強烈なドラマ性と感動を味わった。尾崎世界観(Vo・G)による半自伝的小説『祐介』の物語から確かに連なるものとして、当時のクリープハイプというバンドが存在しているのだということが、ありありと伝わってきた。歌詞の中の日付は、ライブの場で小川幸慈(G)、長谷川カオナシ(B)、小泉拓(Dr)の3人が正式メンバーとして発表された日であり、つまり現行クリープハイプの顔ぶれが正式に揃った日である。

10月20日、この楽曲と同名の書籍『バンド』が発刊された。インタビュアー・木村俊介によるクリープハイプのメンバー個別インタビューを収録している。インタビューがメインの本でありながら、まるでオムニバス形式の小説か映画に触れているような、しかもそれは『祐介』と『世界観』(とりわけ“バンド”)の時間的ミッシングリンクを埋めるかのような、メンバー個々の記憶と現状認識が込められている。

例えば、4人で初めてスタジオに入り音合わせをした時のことについては、4人が4人とも好感触ではなかったと口を揃えている。その時のことを何度かメンバー間で振り返り、語らってきたからこそ記憶が共有されている部分があるのかも知れないが、音の強烈な個性がぶつかり合ってしまったのは、クリープハイプの音楽に触れていれば合点がいく話だ。

その後、演奏面での身体的な不調と真摯に格闘してきた小泉についても、年少メンバーとして尾崎世界観への「憧れ」を人一倍強く抱いたところから成長してきた長谷川についても、メンバー間のコミュニケーション不全の中で潤滑油としての役回りを担ってきた小川の奮闘ぶりについても、個別インタビューの中で不思議なほど明確に、立体的に証明されている。

それぞれに長い下積み時期を経て、バンドマンとして苦しい生活を経てきた4人は、バンドとして揃ってからもコミュニケーション不全の泥沼を味わい、また2011年の東日本大震災、レーベル移籍、小泉や尾崎の身体的不調(シングル『破花』のドキュメンタリーフィルムにも収められていた)といった困難の数々を経験している。それはバンド内外の、人や環境との摩擦の連続と言っても良いだろう。

驚異的な感受性の強さと批評眼に裏付けられた表現力を持つ尾崎世界観は、互いにぶつかり合ってしまうぐらいの個性をバンドメンバーに求めていた。摩擦の刺激そのものを欲していたのである。なぜならそれは、クリープハイプの変化・成長そのものを支える化学反応でもあったからだ。目下の最新アルバム『泣きたくなるほど嬉しい日々に』は、かつて“バンド”で描かれた幸福の続編であるかのように、より開放的で奔放なクリープハイプの成長が刻み付けられていた。

クリープハイプ=尾崎世界観ではない。10月10日に公開されたミュージックビデオ“バンド 二〇一九”では、尾崎以外の3人によってリアレンジされたこの楽曲が鳴らされ、尾崎の葬式に年老いた3人が参列するというドラマが描かれている。摩擦を起こしながら成長し、命が終わっても残されるものとして、クリープハイプを定義しているのである。プロジェクトの始動でもなく、音源デビューやメジャーデビューという節目でもなく、現行メンバー4人が揃って10年を経てきたという歴史が、アニバーサリーとして祝福されるべきであるということ。その意図が、書籍『バンド』に触れればよく分かる。記念日の11月16日(土)に行われるワンマン、そして年明け2月からのアニバーサリーツアーは、言わば人間関係の摩擦そのものを祝福すべき機会となるだろう。(小池宏和)

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