King Gnuの時代を刷新する新作『CEREMONY』の12曲は何のセレモニーだったのか?

King Gnuの時代を刷新する新作『CEREMONY』の12曲は何のセレモニーだったのか?
ついにリリースされる、King Gnuの3rdアルバム『CEREMONY』。すでに聴いた人は、このアルバムが持つ重みを実感していることだろう。言うまでもないことだが、この『CEREMONY』は、単に「今流行っているバンドによる注目作」というレベルの作品ではない。これは、ロックとは何か、ロックバンドとは何か、そしてKing Gnuとは何か――という問いに真正面から取り組んだ、バンドの存在意義を懸けた傑作なのだ。

イントロ“開会式”で聞こえてくる人々の歓声と手拍子が不穏なオーケストレーションと重なり、それが壮大なファンファーレに変わっていくとき、『CEREMONY』の幕は開く。そんなイントロの余韻をかき消すかのように鳴り渡るのは、タイトでテンションの高い歌とバンドサウンド。“どろん”の熱いグルーヴは、ロックバンドによる高らかな宣戦布告のように響く。《味方は何処にいるんだ?》と不安と不信を募らせる常田大希(G・Vo)の歌詞を爆撃のような音が覆い尽くしていくとき、僕たちはこの「セレモニー」が、揺れ動く感情を爆発させるロックの復活祭であることを思い知ることになる。

終わることのない蒼い衝動を刻む“Teenager Forever”、孤独に苛まれながら《暗くなったら火を灯そう/孤独を分け合えるよ》と歌う“ユーモア”、そして2019年を代表するロックソングであり、King Gnuの名を一躍世に知らしめた“白日”へと至るアルバムの前半は、まるでKing Gnuというロックバンドの歩んできた軌跡とその真ん中にある矜持を詳らかにするような楽曲が並ぶ。それは、あえて安直な言葉で表現するならば、ロックバンドのロマンとかけがえのなさと美しさへ至るストーリーだ。


そのストーリーは、来たるメインイベントへの期待を煽るインタールード“幕間”を経て、King Gnu屈指のアンセム“飛行艇”でピークを迎える。《大雨降らせ/大地震わせ/過去を祝え/明日を担え》。今、King Gnuにしか歌えないであろう大きな景色は、今作に至る道程で彼らが手にした実感と確信、そしてさらなる野心の証明として悠然とそこに存在しているのだ。


ところが“飛行艇”以降、「セレモニー」は違う様相を見せる。ミニマルな視点で生活を歌った“小さな惑星”と《愛を探しに行くんだ》と歌う“Overflow”、 そして雨を背景に哀愁漂う愛を歌った“傘”……と、世界そのものを手中にしたようなスケール感まで至った“飛行艇”までの物語とはまったく違う、人間臭くてウェットなセンチメントが暴露されていくアルバム後半の展開は、ピアノ伴奏で常田が歌い上げる“壇上”に帰結するのである。

《本当に泣きたい時に限って/誰も気づいちゃくれないよな》とひとりごちるこの“壇上”こそ、実はこの『CEREMONY』のクライマックスだ。ここに綴られている血を吐くような心情が、常にKing Gnuの背景には流れているということ。そして、だからこそ彼らは(今作の前半がそうであるように)、その暗く淀んだ心情を転覆させ、鼓舞し、救う、バカでかい音を鳴らすのだということ。つまり、マッシブで不敵なロックバンドという「コインの表」と同時にその裏側も見せることで、そのストーリーに血を通わせること。そのために常田は、「セレモニー」の壇上から自分自身をさらけ出す。

アウトロの“閉会式”は、“壇上”からその孤独を引き継ぐように、寂寥とした弦の独奏で終わる。その雰囲気は“開会式”とは対照的だ。だが、そこにこそKing Gnuがロックの救世主であることの根拠と、このアルバムの存在意義が詰まっている。ロックはどこから生まれ、どのように鳴り響くのか。なぜロックは求められ、ロックバンドは死なないのか。『CEREMONY』は常田が自身の心の中に潜っていくことで、そのすべてを詳らかにするアルバムである。これはロックバンドによるロックの本質論であり、哲学であり、そして反撃でもあるのだ。(小川智宏)
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