キンクスのベーシスト、ピート・クェイフが他界

キンクスのベーシスト、ピート・クェイフが他界 - 1964年作 『キンクス』1964年作 『キンクス』

キンクスのオリジナル・メンバーで61年から69年までベースを担当していたピート・クェイフが他界した。享年66歳。死因は明らかではないが、腎臓を悪くしていて人工透析治療を10年以上にわたって受けていたという。“ユー・リアリー・ガット・ミー”“オール・オブ・ザ・ナイト”“キザなヤツ”“ウォータールー・サンセット”などキンクスの初期の名曲にすべて参加していた。

ピートはキンクスの中核となったレイとデイヴ・デイヴィス兄弟と同じ近所であるロンドンのマスウェル・ヒルで育ち、学校でレイと出会った。ピートの演奏に感心したレイはピートを自宅で自分と弟のデイヴとセッションをしないかと誘い、「ジャム・セッションやリハーサルを何度かやってみた後、ピートとぼくたちとで組もうということになったんだ」とデイヴは自著で回想している。「それからベースを誰がやるのか決めるのに、いろいろギターの試し合いがあって、結局ピートが負けてベースになったんだよ」。

64年にはレイヴンズとしてレコード契約にありついた後にバンド名をキンクスと改め、3枚目のシングル“ユー・リアリー・ガット・ミー”が大ヒットとなり、イギリスのロック・シーンで最大の人気を誇るバンドのひとつとなった。

ただ、人気絶頂を迎えた60年代後半でも、まったくクリエイティヴな参加をさせてもらえなかったことにピートは不満を感じていて、05年にはインタビューで「ちょっとでも自分のアイディアを提案しようものなら、ボコボコにされたもんだったよ。ほとんどセッション・ミュージシャンみたいな気分だったな。レイがすべてをコントロールしたがってたからね。完璧なコントロール・フリークだったんだよ」。

66年にピートは交通事故に遭ったことをきっかけに一時的にバンドから離脱したが、66年末にはキンクスに復帰。しかし、69年にはバンド脱退を決心した。「キンクスは外に対していつも明るいイメージをつくろってたけど、実際の内情はいつも4人で戦争状態だったんだ。みんなで相手の肉を削っては傷つけ合っていたんだよ」。69年にピートはメイプル・オークを結成したが、翌年にはこのバンドからも脱退し、音楽業界からも事実上引退した。80年代からはカナダに移住し、グラフィック・アーティストとして生計を立てるようになっていた。公で最後にキンクスとして演奏したのは90年にキンクスがロックンロール・ホール・オブ・フェイムに殿堂入りした際のパフォーマンスだった。
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