先頃イギリスで明らかになった1989年のヒルズボロ・スタジアムでのサッカー・ファンの将棋倒し圧死事件の事故原因について、ノエル・ギャラガーは真相解明のために動いた遺族らに敬意を表明している。
ヒルズボロ・スタジアムでは1989年4月15日にリヴァプールとノッティンガム・フォレストの試合が行われたが、入場に大きな遅れが出たため、試合開始直後にリヴァプール側の立見席スタンドに観客が一度に殺到することになり、将棋倒しが発生して圧死など、96名ものファンが命を落とす大惨事となった。
当初から警察による警備と救助体制がずさんだったことが事故の主な原因だったと事故後の調査でも指摘されていたが、その後検察などによって事件に関係した警察職員の訴追が見送られ、事故の遺族らが起こした訴訟も無罪判決や棄却扱いになるなど警察の責任はあやふやなままにされていた。その一方で、『ザ・サン』紙などの一部の報道や警察の証言では、リヴァプールのサポーターには酔って乱暴を働いていた者が一部いたと伝えていて、リヴァプールの一部のサポーターのフーリガン的な行動から事故は起きたとほのめかす向きもあった。
当局による事件の真相の隠蔽があったのではないかという長らく囁かれた疑惑に答えるため、事故から20周年を迎えた2009年にはあらためて独立調査委員会が発足し、事件に関連するすべての資料を精査することになった。その調査結果が9月12日に発表されたが、それによれば、リヴァプールのファンやサポーターらは事故についてまったく責任を負っていないことが明らかになり、原因は警察が事態を収拾できなくなったことにあったと結論づけられた。
また、委員会は警察の事態への対応と事故後の処理などがきちんと行われていたなら死者96名のうち41名は助かった可能性があるとも事故や検死のデータをもとに指摘していて、さらに警察の対応のまずさを語った164件の証言などを警察が改竄していたこと、さらに114件の証言については記録から削除していたことも今回の調査で発覚した。その一方で、アーヴィン・パトニック保守党議員が警察からの誤った虚偽の情報を事件当時に一部のメディアに流していたことも判明した。
これを受けてデヴィッド・キャメロン首相は事故に巻き込まれた犠牲者や被害者への謝罪会見を行い、「国が遺族らの愛する者を守れず、さらに真相解明まで言い訳のしようのない待機を強いられたこと」や、「亡くなった方々がなにやら自業自得だったかのように思わせられたこと」など犠牲者らが「二重の不正義」にさらされたことを謝罪した。
ちょうどリヴァプールでのライヴを終えたばかりだったノエルは自身のブログで「次のライヴは、俺のスピリチュアルな故郷リヴァプール。ショーは最高。お客さんも圧倒的。リヴァプールっ子には絶対にがっかりさせられることはないよ」とリヴァプールをほめちぎってから、次のように事件について触れている。
「と、こうやって書いている今日がまさにヒルズボロの悲劇の真相がようやく明らかにされたその日なんだ。サッチャー政権の嘘を暴いた96人の犠牲者の家族らには敬意あるのみ。心に右手を当てて敬礼を表します」
この事件については様々なミュージシャンが取り上げてきた経緯もあり、昨年の12月には元クラッシュのミック・ジョーンズやリヴァプール出身のバンド、ザ・ファームのピート・ワイリーらがヒルズボロ・ジャスティス・キャンペーンというツアーも行っている。このツアーには他にもマニック・ストリート・プリーチャーズのジェイムス・ディーン・ブラッドフォードやグラヴェガスのジェイムス・アラン、プライマル・スクリームのボビー・ギレスピーらも参加した。
ノエルは10月31日に初のソロ・ライヴDVD『インターナショナル・マジック・ライヴ・アット・ジ・O2』をリリースする。
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