カニエ・ウェストは2月15日に行ったライヴでドレイクが『ローリング・ストーン』誌に対して行った批判ツイートを擁護するMCを披露したという。
ライヴ中、カニエは20分ほどに亙って即興のラップを繰り広げたが、その中でドレイクの『ローリング・ストーン』誌批判の擁護やメディア批判を披露したという。
元々ドレイクは『ローリング・ストーン』誌の表紙を確約されていたが、表紙がフィリップ・シーモア・ホフマン追悼号になってしまい、そのまま自分の表紙インタヴュー記事も掲載されてしまうと、それに不快感を表明していて、さらに記事に引用されていたカニエについての自分の発言も実際にはしていないとクレームをつけていた。
ドレイクは問題の記事の中で「あのアルバムにはちょっとこれはないんじゃないのっていう箇所がいくつかあったよね。たとえば、あのスワグヒリとかさ("アイム・イン・イット"でカニエはスワガー〔粋〕とスワヒリとをかけて『〔みんながなんにもわかっていない間に〕俺はスワグヒリ語でも語るとするか』という自己顕示ライムを披露している)。勘弁してくれよ、もう。いくらなんでもフォボロスだって、あんなくだらないことは言わないって」と語っているが、こんな発言はしていないと次のようにツイッターで訴えていた。
「僕はローリング・ストーン誌とのインタヴュー部分では『イーザス』についてコメントしてないはずなんだ。それに僕の表紙だって土壇場で差し替えてそのまま出しちゃったんだからね。本当に頭に来るよ。フィリップ・シーモア・ホフマンについてはご冥福を祈るし、あらゆる意味での敬意を払っているよ。でも、プレスは邪悪だね」
さらに「もう雑誌へのインタヴューはこれで終わりにするから。ぼくは自分の音楽をみんなに届けたいだけなんだ。僕のメッセージを正確に届けるにはそれしかやりようがないんだよ」とツイートすると、大人げないし無神経だとドレイクのツイッターが炎上してしまい、その後、ドレイクはブログで『ローリング・ストーン』誌に対して謝罪を表明し、フィリップ・シーモア・ホフマンへの追悼にケチをつけているわけではないと釈明した。
こうした状況をライヴ中の語りでカニエは次のように解説した。
「こうした雑誌ってどういう発想で動いてるのか教えてやろうか。要するに連中はいつもニガー同士の喧嘩をけしかけてるってことなんだよ。けど、そんなことを好きなようにはもうさせねえから。俺たち、ドレイク大好きだからな。なんかやるとしたら、俺たちはあのクソ野郎どもとその腹黒さを追及してやるよ。そもそもあんなクソコメントを活字にするんだったら、編集部ででっちあげる前にまずは俺とドレイクに了解を取らなきゃおかしいはずだよ」
さらにカニエはメディア一般のヒップホップ・アーティストへの扱いについて次のように批判している。
「連中がラッパーと言う時、それは革ジャン着込んで太い金鎖を首にかけたどこにでもいるニガーのことを言っているだけで、教師2人によって育てられたような人物のことを決して指してはいないんだ。『ラッパーのカニエ・ウェスト』って言った時には、今のヒップホップの青写真を描いたような人物として言っているわけじゃないんだ。この10年間はこの人物が作り出したんだというようなことを言いたくて『ラッパーのカニエ・ウェスト』と言っているわけじゃないんだよ」
「だから、どんなメディアでも同じだよ。知らないふりをしてんなよ。敬意を見せろっていうの。『サタデー・ナイト・ライヴ』のシナリオ・ライターやローン・マイケルズ(『サタデー・ナイト・ライヴ』のプロデューサー)、敬意を見せろってんだよ。というのは、俺たちがサシで話し合ったら、誰と話してんだかよく自覚するはずだからだよ。俺のことを2014年に活躍する純然なクリエイターだってわかるはずだからね。俺の顔を見ることはマイルス・デイヴィスの顔を見ることでもあり、ローリン・ヒルの顔を見ることでもあり、トゥパックの顔を見てることでもあり、ビギー・スモールズの顔を見てることでもあり、プリンスの顔を見てることでもあり、ありとあらゆる純粋なクリエイターの顔を見ているのと同じことなんだよ。ふざけてこう言ってるんじゃないんだから、コントの台本を書く時には、あるいはゴシップ紙の見出しを考える時には、今の俺の言葉の動画を観直して肝に銘じておけってんだ。それからてめえのちんけなギターで書いた、ヒットしかかった曲を弾いてみて、“ジーザス・ウォークス”と聴き較べてみろってんだよ」
また、『イーザス』がグラミー賞で2部門にしか候補に挙がらなかったことについては「敬意ってもんがなさすぎるよ。ウェイターにチップをやるよって2ドル(約204円)ぽっちを偉そうに渡してるようなもんだろ」と語ったという。