これまで少しずつ形態を変えながら進化し続けてきた彼女のライブを観てきたからこそ敢えて書くけれど、lukiの歌と楽曲が遂に持つべき肉体を持った、ということを感じる約70分だった。
lukiの音楽の世界観を彩っているのは、氷のような冷たさを持つシンセと、炎のような熱さを持つギターが絶妙のバランスとコントラストで対流し続ける独特のサウンドスケープ。
そして、そこにデジタルビートが重なると、lukiの歌はライブにおいても自由に躍動し始める。
それが最新アルバム『東京物語』の楽曲の誕生と共に確立した、lukiのライブのひとつの形だった。
昨晩のライブでは、そこに生のドラムが加わった。
しかし、それはデジタルビートに近い感触を生の肉体から叩き出すような高度なビートで、それが加わったことによってlukiの歌と楽曲とサウンドは、一気に新たな次元へと飛躍したのだ。
lukiの音楽を、アルバム通して聴いたことのある人はわかると思うが、そこには深い海のような絶望の色が横たわっている。
しかし、だからこそ彼女の歌はすべてを投げ打ってでも希望を描こうとする。
そのアンビバレンツな彼女の歌をライブで表現するための肉体が遂に生まれた記念すべき夜、それが昨晩のワンマンだった。
新曲も、どれも素晴らしかったが、アンコールで披露された“イコール”と呼ばれた曲の、観る者の心を鷲づかむメッセージが特に破格の説得力だった。
今のlukiのライブをできるだけ多くの人に観てもらいたい、そんな気持ちで胸がいっぱいになった。
ちなみにCUTの読者の方は、知っている人も多いと思いますが、lukiさんは映画ライター、山田ルキ子という、もうひとつの顔を持っています。
現在、発売中のCUTでも、連載コラム『小さなスクリーンの中で生きていたい』で、昨年のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作『雪の轍』と、ヴィゴ・モーテンセン主演作『涙するまで、生きる』について書いてくれています。
今回も「残酷に壊れるほどに救われる」というタイトルで2本の異なる映画を1本のレビューとして見事に繋いでいますが、この連載コラムにも彼女ならではの死生観と希望のメッセージがいつも溢れています。
こちらも、どうぞよろしく。(古河)