前回の続き。これで終わりです。
えーと、“Sadness”が、民生がユニコーンの前にやっていたReadyで最後に書いた曲であり、解散ライブの1回のみ演奏した、という話です。
で。その解散ライブが、23年前の今日だったのです。
1986年2月22日、広島ウッディストリート。
この日付をいまだに憶えているのも、我ながら気持ち悪い。ユニコーンが「オールナイトニッポン」で解散を発表した日は憶えてないくせに。
そっちは、確か、9月とかそれくらいだったと思います。ジャパン編集長山崎はニッポン放送まで行って、僕は会社で放送を聴いていたことは憶えています(今調べたら、1993年9月21日でした)。
まあ、23年経った今でも憶えているくらい、Readyの解散がショックだった、ということだと思う。 そうか。生まれてはじめて、リアルタイムで自分の好きなバンドの解散を経験したのが、僕にとってはReadyだったから、そこまでショックを受けたのか。
あと、日付がゾロ目で憶えやすかったというのもあると思うが。
その解散とほぼ同時に、民生は通っていた専門学校(広島電子専門学校というコンピュータの学校だった)を卒業できなくて中退し、SUZUYAでアルバイトを始める。
そして、それから半年も経たないうちに、ユニコーンでのデビューが決まることになる。