第8回:PLASTICS、伝説が目の前に!

第8回:PLASTICS、伝説が目の前に!

今回は、15日(土)、モビリタステージ4番手、
PLASTICSの解説(のようなもの)です。

PLASTICS復活。ちょっとびっくりです。
「JAPAN JAM」公式サイトにもあるとおり、1981年、つまりほぼ
30年前に解散した、当時海外でも名を馳せた、伝説のバンド。
私、もうたいがいおっさんですが、そんな私ですら、
リアルタイムでは間に合っていません。
日本のロックを本格的に聴き始めたの、1982年くらいだし。
なので、まず最初に、それぞれのメンバーの活動を認識して、
あとから、「実はあの人とあの人とあの人は一緒のバンドにいたらしい」
ってことを知って、びっくりしたクチです。

たとえるなら、

「ええっ? 芋洗坂係長って、俳優の田口浩正とコンビで
コントやってたの?」

というような。
違う。このたとえ、大失敗。

ええと、たとえばですね、サディスティック・ミカ・バンドに、

加藤和彦 高中正義 小原礼 つのだ☆ひろ
高橋幸宏 後藤次利 今井裕

この人たちが在籍していた(時期はばらけてるけど)、
って知ると、「へえー!」ってなるでしょ?
それと同じです。

そういえば、ミカ・バンドもイギリスで活動していた。
その次に海を渡ったのが、YMOと、このPLASTICSだった。

元四人囃子で、BOOWYなどを手がける
超大物プロデューサー、佐久間正英。
(のちにGLAYやジュディマリも)

デザイナーをやったり、ソロで実験性に満ちた音楽活動を
続けたり、八面六臂なアーティスト、立花ハジメ。

そして、メロンで活動し、続いて、
藤原ヒロシ・屋敷豪太(後述します)と共に、
日本のヒップホップ・レーベルの草分けである
「メジャーフォース」を立ち上げた中西俊夫。
スチャダラパー、初のリリースは、このレーベルからでした。

田舎の高校生からすると、当時、
佐久間正英は
「とにかくすごいプロデューサー」
だったし、
中西俊夫と立花ハジメは、
「時代の最先端を走っている人」
だった。

なので、その人たちが一緒にやっていた、というのは、
びっくりしたし、あまり上手く頭の中でイメージができなかった。
そして、その頃には、PLASTICSの作品は、
もう手に入らなくなっていた。

ずいぶんあとで、再発されてから聴いた。
そして、「ええっ、当時もうこんなものがあったの!?」
と、とても驚いた。
実は、1981年の段階で、今と同じサイズの携帯電話が作られていた。
たとえるならそんなショックです。

しかも、この今回の再結成には、ドラムで屋敷豪太も参加しているという。
元MUTE BEATです。そのあとイギリスに渡って、SOUL II SOULの仕事
とか
やって、その後シンプリー・レッドに正式加入した人です。
これはリアルタイムで知っている。「ドラムで日本人が入った?
えっ、屋敷豪太なの!?」って、すごく驚いたのを憶えています。
という、私などからすると、「歴史上の人物」みたいな印象の方です。

その後、ヨーロッパと日本で、ドラマーとして、そしてプロデューサーとして活躍。
あらゆる仕事をやっておられます。彼の公式サイトの「WORKS」の
コーナーを見ると、シンニード・オコナーと、ABCと、マッシヴ・アタックと、
上戸彩とスガシカオの名前が、一緒に並んでいて、びびります。
そうだ。トモフスキーのプロデュースもやってた。
って、立花ハジメや中西俊夫よりも、屋敷豪太について、
こんなにいっぱい書いてどうする。

そうだ。屋敷豪太、PLASTICS解散後に中西俊夫が始めた
メロンにも在籍していたから、そこで中西俊夫とつながりがあったんですね。

という、伝説のアーティスト集団が、富士スピードウェイに現れるわけです。
POLYSICSのハヤシくんあたり、もうむせび泣くような事件だと思う。
ぜひお楽しみに。


JAPAN JAM 2010 公式サイト
http://japanjam.jp/
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