デイヴ・グロールの近況については先日の長い記事で書いたばかりだが、外出禁止中でエネルギーが有り余っていると見えて、5月11日付の『The Atalantic』紙に寄稿している。そこで「なぜ我々にはライブが必要なのか?」について書いているのだが、それが熱くて泣ける。
「またいつ、みんなと安全に肩をぶつけ合いながら、声を張り上げて歌い、心臓をバクバクさせながら、体を動かし、魂を生命力で炸裂させられる日がくるのか分からない。だけどやるしかない。それ以外の選択肢はないから」と書いていて目がうるうるきた。
https://www.theatlantic.com/culture/~
デイヴはいつもながらに、ぐいぐいと人を引き込む素晴らしい文章を書いていて、本来なら一字一句訳したいところだけど、そういうわけにもいかないので、以下要約する。
「今年の7月4日はどこにいる予定だった?」と始まる寄稿文は以下のように続く。
俺がいるはずだった場所ははっきりしている。俺のバンド、フー・ファイターズとおよそ8万人の親しい人達とワシントンDC郊外にあるFedExFiledにいる予定だったんだ。そこでデビュー・アルバムから25周年を祝うことになっていた」
しかし、事態は変わってしまった
もちろん、俺は、病院で働いているわけではないし、パッケージのデリバリーをするのが仕事ではないので、自分がラッキーな人間だということはよく分かっている。だけどそれでも、汗だくで、耳をつんざくような、昔ながらの生のロックンロールに飢えている。しかも今すぐ必要だ。心臓がバクバクするような、体が動くような、魂が情熱でかき回されるようなライブが。
ライブ・ミュージックにあるエネルギーや雰囲気は、他の何ものにも代え難い。自分が好きなパフォーマーをステージで観るというのは、肉眼でそこにいるのを観るというのは、何よりも生きていて良かったと思える体験だ。それは、自分のラップトップで、夜中にYouTubeにハマってその光る平面で見ているのとは、比べものにならない。自分が最も愛するスーパー・ヒーロー達ですら自分の目で観ると、生身の人間になるんだ。
1985年、自分がウェンブリー・スタジアムにいて、『ライヴ・エイド』で、フレディ・マーキュリーがステージに立つ瞬間を観ていることを想像して欲しい。永遠に史上最高のライブ・パフォーマンスのひとつとされているそのライブで、(わずか22分なのに)フレディとクイーンは、どんなロックの神でも、スタッズの付いたブレスレットをする人であり、笑えるほどタイトな白のタンクトップを着る人であり、ストーンウォッシュのジーンズを片足ずつはく、俺たちと同じ人間なんだと思わせてくれた。ただあの日あのライブが歴史的なものになったのは、クイーンの音楽が魔法のようだったからとは言いきれない。それは、フレディの観客との繋がりがあったからこそなんだ。それが、あの老朽化したサッカー・スタジアムを音楽の大聖堂に変えてみせた。真っ昼間に堂々と、彼の力で7万2000人が彼に加わり楽器となってあのハーモニーを生み出したんだ。
俺は、生涯かけてライブに行っているから、それがどんな気持ちなのかよく分かる
この後に、2001年に観たU2の『Elevation Tour』が生涯忘れられない思い出となったことについて書いている。華々しい最新技術のロックショーが観られると思ってたら、何のイントロもなく会場の蛍光灯が付いたままでバンドが出て来て始まったから。デイヴはそれは、「親密性を知ること」であり、我々は「他の人達と繋がりを求めている」、「みんなただの人間」なんだと知る瞬間だったと書いている。
また、フー・ファイターズのライブにブルース・スプリングスティーンが観に来る話があり、次の日に、ボスから手書きの手紙が届いて驚愕した話が続く。その手紙には、「君が観客を観た時に、自分も観客の中に見えるはずだ。観客が君を観た時に、自分を君の中に観ているように」と書かれていた。そして実際デイヴも、ライブをしている時は、いかに観客が隅々まで観えているのかという、ファンならじんとくる話を披露している。
だから俺は毎晩、『電気を付けてくれ!』と言うんだ。会場を小さく感じたいから。愛想のない蛍光灯の下で俺はみんなとひとつになりたいから
今日の恐怖と不安とソーシャル・ディスタンシングの世の中では、みんなと共有する体験ができる日が再び来るのを想像するのは難しい。みんなといつ再び安全に、肩をぶつけ合いながら、声を張り上げて歌い、心臓をバクバクさせながら、体を動かし、魂を生命力で炸裂させられるようになるのか、分からない。だけど俺に絶対に分かっていることは、再びみんなでそれをやるということ。なぜなら、やらないわけにはいかないから。それ以外の選択肢はないんだ。
俺たちは人間だ。俺たちには、自分は1人じゃないんだと知り、不安をかき消す瞬間が必要だ。俺たちは理解し合えるんだと、俺たちは完璧じゃないんだと、そして最も大事なことは、俺たちはお互いを必要としているんだと知り不安をかき消す瞬間が必要なんだ。
俺はこれまで、俺の音楽を、言葉を、人生を、俺のショーに来てくれた人達と分かち合ってきた。そして来てくれた人達は、それぞれの声を俺と分かち合ってくれた。叫び声を上げ、汗をかく観客なしでは、俺の曲は単なる音でしかない。だけど、みんなと一緒なら、音楽の大聖堂の楽器になれる。毎晩毎晩俺たちは、みんなで一緒に音楽の大聖堂を作れる。だからそれを、また絶対にみんなで一緒に作るんだ