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    【新春特別コラム】ライターが選ぶ2015年ベスト~高見展の「2015年の忘れ得ぬ曲」 “How Much a Dollar Cost” (Kendrick Lamar)

    RO69新春特別コラム企画としてお送りしている「ライターが選ぶ2015年ベスト」、1月4日のディアンジェロ・アンド・ザ・ヴァンガード“Really Love”編(http://ro69.jp/blog/ro69plus/136690)に続き、音楽ライター/翻訳家・高見展のセレクトによる「2015年、忘れ得ぬ一曲」をお届けします!

    今回はバラク・オバマ米大統領も2015年ベスト・ソングに挙げたこちらの楽曲。

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    ◆ケンドリック・ラマー “How Much a Dollar Cost”
    【新春特別コラム】ライターが選ぶ2015年ベスト~高見展の「2015年の忘れ得ぬ曲」 “How Much a Dollar Cost” (Kendrick Lamar)
    昨年、ディアンジェロの『ブラック・メサイア』と並んで途方もない才能の輝きをみせたのがケンドリック・ラマーの『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』だったが、聴き込んでいけばいくほど凄味が増してくるのがこの“How Much a Dollar Cost”だ。もちろん、このアルバムはまったく駄曲のない傑作として出来上がっているし、“i”などシングルとしてリリースされた5曲もどれも力強い傑作となっている。ただ、ケンドリックがこのアルバムを形にしていくうえでどうしても必要としたある飛躍というか閃きのようなものを見事に曲として体現しているという意味で、この曲はケンドリックの表現者としての計り知れない才能をよくみせつけてくれているとしかいいようがないのだ。

    前作『グッド・キッド、マッド・シティー』は、ケンドリックを文句なしに若手ヒップホップ・アーティストの筆頭格へと押し上げるほどの傑作となったわけだが、この作品のなにがすごかったのかというと、コンプトンというN.W.A.でもお馴染みのアメリカ有数の犯罪多発地域で育ったケンドリックが、まともな大人になりたいといくら願っても環境がそうさせてはくれないことのやるせなさと絶望感を、その心情とあまりにも響き合うラップ・パフォーマンスとサウンドでもって表現しきってみせたことだった。それはかつてのN.W.A.やギャングスタ・ラップのようにストリートでの暴力や犯罪をコミカライズしたり、ロマン化したりするものではなく、そうした現実は今もまだ続いていてそれが当事者の人生に大きな影を落としていること、その憂鬱と悲しみをリアルに綴ったことが画期的だったのだ。

    このアルバムでケンドリックは一躍ヒップホップの新星としてスターダムに押し上げられたわけだが、『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』がさらに傑作として迎えられたのは、この『グッド・キッド、マッド・シティー』の世界観とサウンドのすべてを放棄してしまったところがあまりにも衝撃的だったからだ。どうしてそういうことをケンドリックがこの新作で試みたのかといえば、それはかつて作品化していた世界が今や成功者となった自分の現実ではなくなってしまったからで、もはやかつてのサウンドと心象風景を流用するわけにはいかなくなってしまったからなのだ。では、今の自分は一体なにものなのかというアイデンティティ・クライシスをそのままテーマとしたのがこの新作だったのだ。

    このアルバムでは1曲ごとにケンドリックの心の葛藤が描かれつつ、全曲を通して自分が経験した大きな変化とも折り合いをつけていくことになるが、彼は南アフリカに滞在したことが自身がふっきれる大きなきっかけになったと語っていて、その時の経験を綴ったのがこの“How Much a Dollar Cost”だ。ケンドリックはここでホームレスの男に1ドルほどの金銭をせがまれ、それを頑なに拒絶することを綴っている。その後の押し問答の中でこのホームレス男は実は自分は神だと名乗り、さまざまな聖書の一節を引用しながらケンドリックの狭量さを指摘し、おまえに天国での居場所はないと告げて曲は終わるのだが、重要なのはなぜケンドリックが1ドルを渡すのを拒んだかということだ。それはこのホームレスの風体を見て金をクラックに使うに決まっていると踏んだからで、このホームレスのよかれを思って拒否していたことだったのだ。そして、それはケンドリックがコンプトンでそういうホームレスを無数に見てきたからなのだ。

    事実、ケンドリックもまたそれまでコンプトンでなんとかして犯罪に巻き込まれずにアーティストとして独り立ちできるように、こうした価値判断でさまざまな局面を凌いできたに違いない。しかし、その価値判断のあり方そのものの変更を迫られたというのがこの曲のテーマで、このアルバムの物語における最大のターニング・ポイントを描出した瞬間となっているのだ。

    何度もいうが、このアルバムには名トラックがそれこそ勢揃いしている。しかし、ケンドリックのこの物語における最大の飛躍をここまでストイックなラップ・パフォーマンスとサウンドで仕上げてきたところがある意味でこのアルバムの最大のクライマックスだとしか思えないのだ。(高見展)
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