ギターウルフ・セイジ、『アウト×デラックス』に登場! 満身創痍で体現するロックンロールのロマンとは?

ギターウルフ・セイジ、『アウト×デラックス』に登場! 満身創痍で体現するロックンロールのロマンとは?

「足が冷えるほどの流血はドライヤーで乾かせばOK」
「指の腱が切れてギターが弾けなくても、放っとけばつながる」
「腰からフロアに落ちた激痛は、ハードリカーを飲んでごまかす」
これは今月15日の『アウト×デラックス』に出演したギターウルフ・セイジが淡々と披露したエピソードの数々だ。
番組予告で紹介されていた「革ジャンは洗濯機で洗うロックンローラー」というキャッチーな掴みなど軽く吹っ飛ばすそれらの武勇伝(?)は、バラエティ百戦錬磨のマツコ・デラックス&矢部浩之ですら、笑いながらも明らかに引きまくりなほどの壮絶さだった。

今やロックンローラーと言えど、「ステージでアーティスト生命に関わるような怪我をしないこと」ぐらいはデフォルトのルールとして受け入れているミュージシャンがほとんどのはずだが、セイジは違う。
ここ10年でニュースになったレベルでも、結成20周年の2007年に股関節の手術・入院(長年のハードなステージングによる損傷)→2009年4月の日比谷野音公演で大復活したかと思えば、同年7月のライブで今度は左脚筋肉断裂→2014年には沖縄でステージから転落して右腰部筋肉断裂(これが冒頭の3番目と思われる)……といった具合に、明らかにバンド活動に支障が出るほどの大怪我を繰り返しながら、なおも自分を危険に追い込むようなアクションを繰り広げ続けている。
まるで、人間のキャパシティを遥かに越えた「運命」という名の強敵に挑む冒険者のように。

「もちろん、あえてケガしようと思ってたわけではないんですけど……でも激しくはやろうと思ってますね。『復活してこぢんまりしたな』と思われるのは、自分としては非常に嫌だから」

たまたま上記の2009年7月の左足負傷の頃に取材した際、セイジはそう話していた。
表現者としてクレバーになっていくことで、ロックンロールから失われていくものがある——という切実なマインドを、彼は誰もが驚くほど真っ直ぐに体現し続けている。
そして、紛れもなくその姿勢と衝動そのものが、ギターウルフという唯一無二の熱量を生んでいる、ということだ。
そのことがよくわかる言葉を以下に引用する。2009年12月リリースのミニアルバム『ジェット サティスファクション』当時、『ROCKIN'ON JAPAN』誌面でインタビューした時のセイジの発言だ(2010年1月・2月合併号に掲載)。

「ある程度ギターが上手くなったりするのはいいんだけど、なりすぎちゃいけない。ロックにとっていちばん悪いことですよ。(中略)気合いをテクでカバーしようとする瞬間から、ギタリストは堕落していきます、ほんとに。ギターは弾かずにお酒でも飲んでればいいんです」

「自分は世界に発信するつもりというか、宇宙に発信するつもりというか……たとえ日本語でやってても、アメリカでやってもアメリカ人をノらせたいし。アメリカ人の前で説明的な歌を歌ったって面白くないし、こっちも面白くないし。そういうことを考えながら、曲を作って歌ってるかな」

「宇宙の歴史に比べれば、人間の歴史なんて線でもない、点ですらないかもしれない。だったら無茶苦茶やってやろうって……そういうものを教えてくれましたね、夜空が。だから俺はすごい、宇宙が好きです」

「楽器ってのは勢いで弾くもんだから。アンガス・ヤングとかも勢いで弾いてるだろうし、キース・リチャーズとかも勢いで弾いてるだろうし。そういう勢いを感じられなくなったギターは、自分にとっては面白くない。だから、勢いで弾いて弾けるような曲にしたいっすね、全部」

一見して破天荒に見えるセイジの言動のひとつひとつが、日常や常識とはかけ離れたスケールの強烈なロマンに裏打ちされていることが、これらの発言の数々からも伝わることと思う。
ロックンロールはジャンルでもスタイルでもなく、生き様である。
ギターウルフは、セイジは、そんな信念を身体を張って実証し続けているに過ぎない。
そして、そんなギターウルフから僕らが目が離せないのは、僕ら自身もそんな途方もないロマンの虜だからに他ならない。

ギターウルフは来年で結成30周年。どこまで衝撃的なロックンロールの決定的瞬間を見せてくれるのか、今から勝手に楽しみで仕方がない。(高橋智樹)
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする