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    シド・バレット:偉大なる「サイケデリックの迷い子」―― なぜ彼はピンク・フロイドを去ったのか? 1970年ソロデビュー当時にすべてを明かした貴重インタビュー

    シド・バレット:偉大なる「サイケデリックの迷い子」―― なぜ彼はピンク・フロイドを去ったのか?  1970年ソロデビュー当時にすべてを明かした貴重インタビュー - rockin'on 2024年6月号 中面rockin'on 2024年6月号 中面

    現在発売中のロッキング・オン6月号では、シド・バレットのドキュメンタリー映画公開特集において、ソロデビュー直後の1970年インタビューを掲載!
    以下、本インタビューの冒頭部分より。



    「バンドを抜けた時、僕はこのグループがもっと前に進んでいけたはずなのにって思ってた。
    だけどまるで成長しなかった。
    まるっきりだ。
    自分のアルバムを作るのは挑戦だったんだよ」


    今シドは自身のソロアルバム『幽玄の世界(帽子が笑う⋮不気味に)』をヒットさせ、これによって何度となく繰り返されてきた“フロイド脱退後シド・バレットはどうなったのか?”という問いに対し明確な答えを示した。現在のシドはほとんど家具の置かれていないロンドンのフラットで、ステレオと、あちこちに山と積まれた絵画と、積み重なったボロボロのLPに囲まれながら静かに暮らしている。

    今回のアルバムが好調な売れ行きを示したことは、大した宣伝もしていなかっただけに、シドにとっては嬉しい驚きとなった。「うん、ほんとよかった」。彼はいつもの静かな口調で言う。

    「だけどもし僕がいきなり死んで、それで売り上げが伸びたりしたら、本当にギョッとするだろうな。これが僕の最後の言葉として受け止められるべきものとは思わない。とにかく僕は次のアルバムをレコーディングしたいんだ、他に何をするにもそれからだ。だから今はそれに向けて素材を書いてる」

    シドはケンブリッジの学生だった頃にギターを習い始め、16歳から地元のバンド数組に参加した。特に気に入ってプレイリストに加えていたのがボ・ディドリーやジミー・リードのナンバーだった。「そのうち、やっぱりロンドンに出なきゃと思ってさ」と彼はいう。

    「いつまでもプレイを続けるつもりはなかった。こっちのアートスクールに来たのは絵をやりたかったからさ。昔から学校の授業より絵の方がよっぽど面白かった。でもまあ音楽とは全然関係なかった訳だけど。ロンドンに来て3年経ってからピンク・フロイドと組みはじめたんだ。僕が一番影響を受けたのは間違いなくボ・ディドリーだね。あの時期にはそれまで聴いたことのないレコードに何枚も出会えた。すごいものを見つけたって本当に実感できるようなものがたくさん出てきてたんだ。フロイドの音楽はみんなで一緒にプレイしているうちに出てきたもので、僕らは何か新しいものをやろうとしちゃいなかった」
    (以下、本誌記事へ続く)



    シド・バレットの記事の続きは、現在発売中の『ロッキング・オン』6月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。

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