フジロックでシーアを見る。もはや宗教的ともいえるライブ体験だった。

フジロックでシーアを見る。もはや宗教的ともいえるライブ体験だった。
豪雨の中、どれだけの人が残るのだろうか、全く予想がつかなかったが、グリーンステージは凄い人で埋まった。
開演時間が少し押した。雨が激しくなり、かなりきつい状況だった。
グリーンステージを埋めた人は、ただうつ向いて雨に耐えながらシーアを待った。歓声や開演を促す拍手が起きるわけでもなく、緊張感のある静寂がグリーンステージを包んでいた。
突然客電が消え、ライブが始まる。真っ白なステージにシーアとダンサーだけ。衝撃のオープニングに大きなどよめきが起きた。それは純粋な驚きと同時に、雨の中で待った自分たちの判断は正しく、自分たちは勝ち組だという喜びも含まれていたように感じた。最初の一瞬だけで、ライブがとんでもないものになると確信できる凄さだった。
それからの展開は、この文章を読んでいる方の多くが見たYouTubeで放送されたとおりだ。これまで誰もやったことのない驚きのステージが繰り広げられた。
ただ会場にいた当事者として、伝えたいことがある。それはあの会場にいる誰もが感じたと思える、不思議な空気感だ。
シーアのステージはユニークではあるが、決して難解なものではない。いわゆるアート体験とは違う。
かといって従来型のポップ・エンターテイメント体験でもない。
敢えて言うなら、神秘的な宗教体験ともいえるものだった。それは演出がそうだというより、演出によってあぶり出されたシーアの楽曲そのものが持つ宗教性がもたらせたものだと思う。
シーアの曲は、どれも高性能のポップ・ソングだ。誰もが親しめるメロディと、分かりやすい歌詞を持っている。だからヒットチャートの常連になれる。
しかし、このステージが作り出した神秘体験の本質はシーアの楽曲にある。あのステージングは楽曲が呼んだものなのだ。
シーア恐るべし。ポップ・ミュージック恐るべし。
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