フリート・フォクシーズとスフィアン・スティーヴンスの新作はどこに到達したのだろう

フリート・フォクシーズとスフィアン・スティーヴンスの新作はどこに到達したのだろう
ほぼ同時期のリリースとなったフリート・フォクシーズとスフィアン・スティーヴンスの新作アルバムの到達レベルが凄まじい。

フリート・フォクシーズは前作からの吹っ切れ方がすごくて、ロビン・ペックノールドがほぼ一人でゲスト・アーティストを招いて作ったことや、ロビン自身が精神的な苦境を乗り越えたことが、この超ポップな方向性を決定づけたのだろう。
“Jara”なんてザ・フーの60年代の青春アンセムのようだ。

スフィアン・スティーヴンスの新作は、バロックフォークの歌とエレクトロニックの音が溶け合っていて、フォーク化していく今のインディーR&Bの流れと逆から合流するかのようだ。
サウンドはエフェクトや技巧を重ねているように聞こえるが、そこを目指したのではなく、あくまでもポップソングを目指して作られている。

2作とも、今年のベストアルバムの候補になるぐらいの傑作だ。


この2作に限らず、ここ数年の傑作アルバムの多くは「ポップス」へと帰着している。
サウンドプロダクションの進化と共通化によってジャンルがボーダーレス化したことで、以前のようにそれぞれのジャンルが独自の進化を遂げながらぶつかり合うのではなくて、みんなが「ポップス」に向かって集まってくるような進化の仕方をしている。
ヒップホップもR&Bもロックバンドもフォークもエレクトロも、みんながポップスへと合流して混じり合うのがここ数年の音楽シーンだ。

その有り様が美しいと思うのと同時に、何か次の新しいあり方に向けての前夜──ポップスを帰着点としない、しかもなにか大きな潜在的欲望を撃ち抜くような新しいベクトルを持つ音楽の誕生の前夜──のようにも思える。(山崎洋一郎)
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