R&Bの深淵を極めつづけるブラッド・オレンジの新作『ニグロ・スワン』。16歳の時に死んだ自分を見守っていた天使とは

R&Bの深淵を極めつづけるブラッド・オレンジの新作『ニグロ・スワン』。16歳の時に死んだ自分を見守っていた天使とは

イギリスのインディー・ロックからニューヨーク発の無国籍R&Bへとその表現が豹変していった異才のクリエイター、ブラッド・オレンジの新作『ニグロ・スワン』。本名のデヴ・ハインズとしてはソランジュスカイ・フェレイラFKAツイッグスカーリー・レイ・ジェプセンらを手がけてきたことでも知られているが、いずれもニューヨークに拠点を移しブラッド・オレンジ名義で活動を始めてからのことだ。

ブラッド・オレンジとしては当初ポスト・パンク的なロックやファンクを聴かせていたが、ファンクとR&Bの要素はアルバムごとに色濃くなりながらも、音像そのものはさまざまなジャンルの音が入り乱れるものになっていて、それはニューヨークという都市の雑食性を反映するものでもあるし、デヴ・ハインズというアーティストの複雑な生い立ちを映し出したものでもあるのだ。

ある意味で前作『フリータウン・サウンド』はその音楽性が極まった内容にもなっていて、それはイギリスに移住した父親の出身地であるアフリカのシエラレオーネへの思いと、黒人であることと自身のセクシュアリティ改めて自分のアイデンティティとして自覚させてくれたニューヨークへの思いを綴るものになっていて、喜びに満ち溢れながらもどこまでも切なさがこみあげてくる感動的な作品になっていた。

そして、それに続く今作は、黒人として、さらに性的マイノリティとして生きることの体験やそのアイデンティティを問う内容になっていて、テーマ的にはよりヘヴィーになっているのだが、ブラッド・オレンジの繊細にして空気を漂っていくような感覚は健在な、独自のR&Bとして作られている。つまり、そうしたテーマ的な問いかけを迫られることの情感がなによりも溢れ出てくるような、ワン・アンド・オンリーな魅力に満ちた作品になっている。


テーマ的にはかなり強烈で、少年時代を過ごしたロンドン東部のダゲナムで16歳の時に袋叩きにされた記憶をいきなり紹介するのがオープナーの"Orlando"だ。数人にボコられ、「自分のファースト・キスは床だった」という記憶がサビとして歌われる、あまりにも悲痛な曲になっている。ファースト・キスとたとえるほどの衝撃だったのだから、おそらく歯も折られたのだろう。しかし、この曲の音はどこまでもやさしいファンクになっていて、そこが素晴らしい。どこか懐かしさを覚える曲調になっているのも特徴的で、それは過去の体験を扱っている楽曲だからだ。ここで描かれる経験そのものはあまりにも苛酷なものだが、その経験こそが今のデヴ・ハインズを作り上げたものだし、その記憶を慰めるためにもこのやさしい温もりに満ちたサウンドと曲はあるのだ。

では、なぜ自分の人生におけるこのあまりにも重要な記憶を振り返った楽曲に"Orlando"と名付けるのか。それはアメリカのフロリダ州オーランド(Orlando)のゲイ・クラブで2016年に起きた銃乱射でゲイなどの客49名が犠牲になった事件にかけているからで、この事件と病院送りにされた16歳の時の自分への暴行をだぶらせているからだ。というのも、ピッチフォークとのインタヴューでも語っているように、デヴは16歳当時、服もメイクもネイルも女子として学校に通っていて襲撃に遭ったのはそれが原因だったからだ。事件の後、退院して復学した際には一切それをやめたというが、16歳当時の女子としてのデヴは一度この時死んだのだ。その後、スケートボードに打ち込むことになったとデヴは語っていて、スケートボードもまた今回のアルバムに登場する重要なモチーフのひとつとなっている。

また、この事件のその後ついては"Dagenham Dreams"でも再び取り上げられているが、さらに事件についてデヴがインタビューで明らかにしているのは相手がすべて黒人の少年たちだったことで、つまり、黒人であることと性的マイノリティであることの抑圧の二重構造をこの作品ではテーマとして取り上げているのだ。ただ、デヴのすごいところはこれをすべて怒りの表出とするのではなく、やるせなさ、あるいはそれでも自分はこうしてやっていくしかないという情感として曲と音を作っていくところで、すさまじくエモーショナルな内容でありながら、どこまでもある種の穏やかさを提供するものになっているのだ。

もちろん、こうした情緒的なサウンドだけで構成されているわけでなく"Saint"や"Chewing Gum"など、素晴らしく軽快なビートやグルーヴも聴かせる内容になっているが、歌詞やテーマはどれも今回のテーマに意識的に踏み込んだものとなっている。そしてアルバムが辿りつく"Smoke"の境地はあまりにも感動的なものだ。

言うまでもなくこの曲のとてつもないやさしさこそジャケットの少年が体現しているものだ。(高見展)




『ニグロ・スワン』の詳細は以下。


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