ハードロック・ドラムスの礎を築いた、伝説と呼ぶにふさわしい男――ジンジャー・ベイカー逝去によせて

ハードロック・ドラムスの礎を築いた、伝説と呼ぶにふさわしい男――ジンジャー・ベイカー逝去によせて

ジンジャー・ベイカーが現地時間10月6日、亡くなった。数年前から心臓疾患が公表されていたし、10日ほど前には家族より危篤状態が発信され、世界中多くのファンの祈りが向けられていたが、届かなかった。

しかし享年80歳なら天寿を全うと言っていいだろうし、彼の残した名演の数々や歩みの価値が薄れることは永遠にない。
 
その最大の功績がエリック・クラプトン、ジャック・ブルースとによるクリームで、ギター、ベース、ドラムスというハードロック・トリオのフォーマットは彼らによって作られた。

各プレイヤーのインスピレーションによって展開されるインプロビゼーションは、それまでのロック・ライブの概念を書き換えたし、ジミ・ヘンドリックスを始め多くの人たちにも影響を与えた。

と、同時に映画『ジョーカー』でも使われた“White Room”のようなヒット曲を持つ多面性を持ったクリームであったが、ジンジャーとジャックの相性が決定的に悪く解散。

その後、クラプトン、スティーヴ・ウィンウッドとスーパー・グループと呼ばれたブラインド・フェイスを結成するも、アルバム一枚で解散となってしまった。

そこでリーダーシップを取った大型プロジェクト、ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォースとして活動するが、ここでのジャズ・ロック・サウンドは、今の方が高い評価を受けるはず。

ジンジャーのドラミングはクリーム時代のソロなどのせいで手数の多い、派手なイメージばかりが強いが、根底にあるのはジャズ指向であったりプリミティブなビートの探求で、71年にはナイジェリアに出向き、後にアフリカン・ミュージックの代名詞的な存在となるフェラ・クティを迎え2枚のアルバムを作っている。

そしてナイジェリアの首都ラゴスにスタジオを作り、そこでポール・マッカートニー&ウイングスの『バンド・オン・ザ・ラン』もレコーディングされている。

80年代にはそのスタジオを閉鎖、イタリアで引退状態となるが、そんなジンジャーを引っ張り出したのがベーシストであり名プロデューサーのビル・ラズウェルで、パブリック・イメージ・リミテッドの『アルバム』のゲストに迎えたりしたことで音楽シーンに復帰を果たす。

それ以後は、チャーリー・ヘイデン(B)やビル・フリゼール(G)とジャズ・アルバムを作ったり、05年にはクリーム再編でロンドン、ニューヨークでライブを行ったりと伝説にふさわしく自由度の高い活動をくり広げてきた。

おそらく本人も最高に満足なミュージシャン人生だったと振り返っていることだろう。

安らかにお眠りください。(大鷹俊一)
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