ビリー・アイリッシュが歌う『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』主題歌の、一体何が「事件」だったのか?

前述のように『007』はその保守性が時に批判されてきたフランチャイズなわけだが、近年はとりわけ風当たりが強い。「ディナージャケットに身を包み、美女を侍らせた色男のエージェント」としてのボンド像、物語の添え物を想起させる「ボンド・ガール」という呼称なども含めて(前作『007 スペクター』から「ボンド・ウーマン」に変わりつつある)、時代にそぐわなくなっているのではないかという批判だ。

ジェームズ・ボンドというアイコンの永遠の魅力の一方で、ダニエル・クレイグ自身も「ミソジニーの暴力男」であるボンドを批判していて、実際クレイグ・ボンド期の『007』は、同フランチャイズの前時代性を覆してモダンな価値を見出すべく格闘してきた作品群でもあった。クレイグが築いたハードでリアルなボンド像はフレミングの原作とも近いと言われ、同時に2000年代以降もサバイブできるフォーマットにアップデートされたものだった。でも、2020年代はもっと大胆な変化が求められる時代ということなのかもしれない。


だからダニエル・クレイグの最終作となる『NTTD』の大きな課題が変化、しかも抜本的な変化であることは必然だったのかもしれない。例えばクレイグの強い要望もあってフィービー・ウォーラー=ブリッジが『NTTD』の脚本に参加したのは、「変化」を象徴する大きなトピックだろう。ドラマ『フリーバッグ』で大ブレイクした彼女の起用は、「me too」の時代に相応しい『007』を作り、ボンドのアクセサリーではないリアルでタフな女性キャラクターを生み出すための秘策だったと言えるからだ。

また、新007を女性(ラターシャ・リンチ)が演じるというのも大きい。ちなみに監督のキャリー・フクナガは『NTTD』を任されたすぐに主題歌をビリーに歌って欲しいと思ったと語っていたが、つまりビリー・アイリッシュもまた『007』フランチャイズの埃を払う役割を期待されていたということだろう。ビリーは『007』にはクールすぎるのではなく、クールすぎるからこそ『007』の変化のために求められたのだ。



ビリーとフィニアスは“No Time To Die”をツアー中にわずか3日で作ってしまったという。ちなみに事前に脚本の一部を読み、歌詞のイメージを膨らませていったというから、非常にオーセンティックな映画主題歌の作り方をしているとも言える。「愛してしまったことが愚かなの?」と歌う“No Time To Die”のテーマはずばり「愛と裏切り」。それは秘密を抱えたボンドの恋人、マドレーヌ・スワンの視点とも、マドレーヌに裏切られたと感じるボンドの視点とも取れる。


この兄妹インタビューの中で、フィニアスは“No Time To Die”の制作に際して過去の主題歌を全て聴き直したと語っている。「過去の名曲で何が行われているかを知ることで、今回僕らが何を避けるべきかがわかるから。名曲のコピーにはしたくなかった」のだと。“No Time To Die”を聴くと、確かに彼のこの発言を裏付ける「研究」の跡が見て取れる。『007』主題歌に必要不可欠なエッセンスと自分たちに求められている「変化」を見極め、バランスを取り、采配し、ネオ・クラシックな名曲となった“No Time To Die”は、まさに温故知新の産物なのだ。

ジョン・バリーへのオマージュたっぷりのハンス・ジマーのオーケストレーションの中で、ビリーのビリーらしさ全開の歌声がしっくり馴染んでいくのも、「ビリー・アイリッシュのボソボソした歌声は盛り上がりにかけるのでは」という、ボンド・ファンの事前の危惧を跳ね返す新境地だ。その一方で、大サビで作品タイトルを朗々と歌い上げるという『007』主題歌のお約束をきっちりクリアしてるのも最高! ビリー・アイリッシュは革新や新世代を象徴する才能であると同時に、クラシカルなテーマにも適応しうる普遍的なソングライティングの才能の持ち主だということを証明したのが、“No Time To Die”の最大のポイントだと思う。


『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は4月10日公開。とにかく早く劇場で“No Time To Die”を聴きたくて仕方がない! 『007』の歴代タイトル・シークエンスはどれも凝りに凝っていて、単体の作品としても楽しい名ビジュアル揃い。そんなビジュアルと合わせて体験するとこのフランチャイズの主題歌が特別である理由が理解できるはずだ。ちなみに『007 スカイフォール』のアデル、前作『007 スペクター』のサム・スミスは共に同作主題歌でアカデミー賞歌曲賞を受賞している。グラミー賞を制覇したビリーに、『NTTD』が初のオスカーをもたらすことになる可能性も十分にある。(粉川しの)
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