ただし、それ以外は基本的に同じ。岸田、佐藤、ドラムはBoBo、の3人で、シンプル極まりない演奏と歌を、シンプル極まりない演出と進行でもって聴かせていく、そういうライブだった。とにかく丸裸、とにかく素。でも出ている音が圧倒的で、すごいグルーヴ。という、「丸腰で勝てる人が最強」ってことを示すような、すばらしいライブだった。
と、途中までは、そんなふうに思いながら観ていた。が、だんだん、じわじわと、疑問がわいてきた。
今回ほど超シンプルな形ではないが、僕は以前にも、何度もこういう「シンプルなロックを淡々とやる、それだけでもう圧勝」な、くるりのライブを観たことがある。それらの時と、微妙に違うのだ。
何がどう違うんだろう。と、思いを巡らせていて、気づいた。
その「圧勝くるり」を観た時って、いつも「これ、ほかのバンドはイヤだろうなあ」と思った。こんなにシンプルであたりまえなことを淡々とやっているだけなのに圧倒的だと、ほかのバンドマンは「かなわん」「やっとれん」「撤収」ってなるだろうなあ、と。
しかし、今、このライブを観ながら、僕はそう感じていないのだ。すばらしいグルーヴのすばらしいライブなんだけど、そういう「才能なき者は去れ」みたいな、圧倒的な「高さ」のようなものは、今目の前にいるくるりからは感じない。すごいのは間違いなくすごいんだけど、もっとこう、身近で、頼りない部分もあって、親しみやすいような、そんなすごさなのだ。
で。「結果的にそうなった」のではなく、「自らそうなることを選んだ」ように、僕には見えた。何年もかけて集めた、すべての武器。そして、それらをうまく使えるように何年もかけて学んだ、すべての技術。そうしたものを、いったん全部捨ててしまって、それで何ができるか、どこまでいけるか試してみよう、というような。ある意味、『魂のゆくえ』というアルバム自体が、そういう側面を持ったアルバムだとも言えるかもしれない。
実際に、岸田や佐藤がそんなことを考えてるかどうかは、知らない。思いっきりまとはずれなことを書いてしまっているような気も、しないでもない。ないが、とりあえず僕がこの日のくるりのライブから感じたのは、そんなようなことでした。(兵庫慎司)