今年、エリック・クラプトン×ジェフ・ベックやドゥービー・ブラザーズ×デレク・トラックス・バンドといったロック・レジェンドのジョイント・ライブを催してきたウドー音楽事務所なのだが、今回はライ・クーダーとニック・ロウの豪華共演である。まずは、観ることが出来てかなり素で嬉しい。90年代初頭に結成されたスーパー・バンド、リトル・ヴィレッジでも共演していた過去のある両者なのだが、今回のジョイントは実質的に17年ぶりのことなのだという。
ライとニックによるステージ本編の前に、Juliette Commagereという女性ミュージシャンによるオープニング・アクトが登場。バンドのドラマーにはライの息子であるホアキン・クーダーがいて、エスニックかつエレクトロニックなロック・サウンドが届けられる。何よりもジュリエットの歌声が、幽玄の美という印象で良い。多くの音楽的要素を取り込んだサウンドだけれども、それをポップに聴かせる。どこかライやニックの音楽性にも通じ、それを若いサウンドにしたような、豊かだけれども上手に脂肪抜きされたボーダーレス・ミクスチャー・ロックだ。ジュリエットとホアキンはもともとバンド仲間で、公私に渡るパートナーでもあるのだそうだ。
さあ、いよいよ本編。ライ・クーダーとニック・ロウが登場する。美しい総白の髪をビシッと整え、スタイリッシュな黒ポロとグレーのパンツで決めたニック。一方、ヘッド・バンドを巻いて豊満な腹にギターを乗せるように構えるライがどこか愛らしい。ドラマーはオープニング・アクトに引き続きホアキンが務めるので、巨大な銅鑼や各種パーカッションがズラリと並んだドラム・セットはそのままである。楽なんだか大変なんだか。ゆったりとしたアレンジとテンポで、ニックがベースを弾きながら優しく歌い出す。いきなりのリトル・ヴィレッジ・ナンバー“フール・フー・ノウズ”だ。何ともクール&ダンディなニックである。今回の僕はどちらかというとニックがお目当てのつもりだったのだが、2曲目で今度はライの渋いブルース・ボーカルが響いたとき、彼の声とギターにはまって彼の作品ばかり聴いていた時期があったことを、唐突に思い出した。間にグルーヴが宿るボトルネック・スライドのギターはもちろんだが、ライの歌声にも抗いがたい力がある。ウディ・ガスリーの“ヴィジランテ・マン”では、ライの手元を楽しそうに眺めながら極少のベース音を加えてゆくニックであった。
「昔から、日本に呼んでくれてありがとうウドーさん。おかげでこんなジイさんになっちゃったよ。それからもうひとつ、感謝しておきたい日本企業があるんだ」と告げ、“クレイジー・アバウト・アン・オートモービル”ではトヨタ・センチュリーを褒め殺す歌詞に換えてトーキン・ブルース風に撒き散らすライであった。送迎がセンチュリーのリムジンだったのだろうか。いたくお気に入りな様子である。3ピースのステージ上には時折、先ほどのジュリエットら女性ボーカルが登場してコーラスを加えたりもする。ときにはリード・ボーカルを務め、またニックが歌う軽快で楽しいR&Bや、スクイーズの泣きメロ・カヴァーでも、彼女たちは大活躍していた。
新曲のダークなストリート・ストーリー“シュリンキング・マン”が披露されたのちは、終盤にかけて両者の名曲連打であった。その昔、CMソングとして日本人の記憶に刷り込まれたライの“アクロス・ザ・ボーダーライン”では大きな歓声が沸き上がり、ニックもアコギを抱えて美しい“レイニング・レイニング”を披露する。アンコールではエルヴィス・コステロのバージョンでも知られるニックのブリンズレー・シュワルツ時代の名曲が繰り出され、ライのストーンズとの共演を思い起こさせるルーズなロックンロールもプレイされた。終盤戦のライは年甲斐も無くイタズラ小僧ぶり全開で、肝心のギター・ソロでわざとらしく音を外してオーディエンスの笑いを誘ったりしている。まったく。還暦迎えてなお必要以上にスマートで凛々しい英国ロッカーと、愛息子の鉄壁のドラミングに向こうを張って悪ノリしまくる音の旅人。このコンビは本当に手に終えない爺様たちだ。世界は広く、人生は短い。くだらないことをやっている暇はない。ライ・クーダーと、ニック・ロウが、それを教えてくれた夜だった。
彼らの来日公演は今後、11/9(月)~11/11(水)の3日間、渋谷のBunkamuraオーチャードホールで引き続き行われる。(小池宏和)