ペイヴメント @ 新木場STUDIO COAST

ペイヴメント @ 新木場STUDIO COAST
ペイヴメント @ 新木場STUDIO COAST
ペイヴメント @ 新木場STUDIO COAST
ペイヴメント @ 新木場STUDIO COAST - pics by Yuki Kuroyanagipics by Yuki Kuroyanagi
新木場から渋谷に帰ってきて、残っていた仕事の整理をあーだこーだ片付けて、気づけば日付も変わったんでそろそろライブレポートに取り掛かろうかと思っているのだけど、なんだろうか、このキツネにつままれたような感じは。いや、実際には44年ほど生きてきた中でキツネにつままれたことなどビタ一文ないわけだからそれがどういう感じなのか皆目見当もつかないのだけど、ほんの数時間前、この目で目撃した「10年ぶりのペイヴメント」が、キツネでも持ち出してこないとさっぱり説明がつかないのだ(というか、説明になってないわけだ)。

どういうことかといえば、これは果たして10年という歳月の空白があった出来事なのかということなのだ。目の前にいたペイヴメントは、10年前とほとんどまったく変わることなくそこにいたのだ。なんなんだこれは。俺の白髪はもうもうと増えたぞ。スパイラル・ステアーズの頭髪は残りわずかだったぞ。でも、そこにいたのは紛れもなく、10年前のペイヴメントだったのだ。

スティーヴ・マルクマスの飛行機がぎりぎりまで到着せず、開演が30分遅れでスタートとあいなった再結成ツアーの初日。現役時代にも経験したことのない大バコである新木場STUDIO COASTに、しかも2日間ものブッキングに、正直どれくらい埋まっているのか心配だったのだけど、埋まってるやないですか。というか、こんなにいたのかペイヴメント・ファンは! 思い起こせば15年以上前、ロッキング・オン編集部に入ったばかりの宮嵜青年が部員として最初にヘッドライン原稿を任されたのが、このペイヴメントだったのだ。インディーながらアメリカで数十万枚をセールスして、いよいよ日本盤もリリースということで、当時の編集部にプロモーションが舞い込んだのだけど、いまでこそ海外情報のタイムラグは皆無だけど、その時代にはそんなこともなく、なんだこのペイヴうんたらというのは?と先輩社員が打ち合わせしているのを小耳に挟んで、「それ、ボク、知ってます!」としゃしゃり出たことを昨日のことのように思い出す。ということからなんだか「ペイヴメント担当」というようなことになり、翌月には日本初のペイヴメント紹介記事をロッキング・オンに掲載して、以降、解散まで付き合ったわけだけど(途中、来日したバンドを豊島園に連れて行って撮影のためと称して死ぬほどジェットコースターに乗せたこともあり)、そういう経緯を見てきた自分としては、こんなにも温かく彼らが迎え入れられている事実に早くも落涙なわけである。ブリット・ポップ!とか、グランジ!とか、そういう華々しいムーヴメントの陰で、まあ、それなりなセールスとツアーを組んでいたのが往時の偽らざるペイヴメント、だったのだから。

そんなことはどうでもいい。

ともかく19時30分。客電がおち、バンドがステージに現れた。中央奥に「二代目」ドラマー、スティーヴ・ウエスト、その上手側にパーカッション&いろんな小道具&叫び担当であるボブ・ナスタノヴィッチ、その前にギターのスコット“スパイラル・ステアーズ”カンバーグ、舞台フロント中央には現ソニック・ユースで活躍中のベーシスト、マーク・イボルド、そして下手にギター&ボーカルのスティーヴ・マルクマスが、それぞれの定位置におさまる。キャリアの中で一度も変わることのなかった、まさに定位置なのだ。

セット・リストについては、明日以降もツアーは続くということもあって、別途ニュース扱いで本サイトに掲載したので、そちらをご参照のほど(http://ro69.jp/news/detail/33075)。

というわけで、どのような曲がどんなふうな按配で展開していったかについては、ここでは書かないのだけど、ともかく。

ペイヴメントは、「おいおいそんな演奏で大丈夫か?」という始まりから、「なんだよこれどういうことなんだよいったい何が起きたんだよ!」という終わりまで、かつてと同じようにやってのけてしまっていた。再結成バンドは10あれば10バンドが「上手く」なって、それによって音が「しまって」「クリアになって」たりするものだけど、そんなことはなかった。相変わらずペイヴメントは手を貸したくなるほど危なっかしく、ちょっとどうかと思うくらい悪ふざけ的で、でも、そんなときも目は笑ってなくて、そして、油断していると危険なほどスリリングな音をいきなりずりゅずりゅずりゅりゅりゅりゅ!と竜巻のように轟かせてしまっていた。

もちろん、この10年の時の流れは当たり前だけどきちんと存在していて、それは、当時は「ジャンク」(懐かしい言葉だ)の一言で片付けていたペイヴメントのサウンドが、この2010年の今、いたるところで解を提出している新しい音の方程式の、その種子だったということだ。現在の先鋭的なアメリカン・ギター・ロックはもちろん、たとえばグリズリー・ベア経由のレディオヘッドや、ジョシュ・オム経由のアークティック・モンキーズといった英国勢までを包摂するような巨大なパースペクティヴが、10年前、ペイヴメントによって準備されていた、つまり、この再結成ツアーとは、そんなふうに「10年前のペイヴメントが何であったのか」をようやく今われわれが理解する、というものであることを痛感したものともなった。

というようなことをひしひしと思い知らされながら、それでもステージ上のペイヴメントは、当時と同じように、「カート・コバーンみたいに死んでしまいたくはないけど、だからといって健全に生き抜いてみます!みたいなことも、どうも違うんじゃないの?」とでもいいたげに、奇声を発し、体を捩じらせ、微笑を浮かべ、低いジャンプを繰り返していた。でも、見間違ってはいけないのは、それが、今にも繋がっている、われわれのシリアスさだということだ。ペイヴメントを観ていると、このステージで繰り広げられているのは、まるで仕事を終えて、打ち上げが終わって、2次会3次会に繰り出して、もう何次会だかわからなくなって、だんだん外は明るくなってきているぞ、また一日が始まるんだから、ああ、今日はあのプレゼンがある、あの会議もある、とかうっすら意識も目覚めてきて・・・みたいなことではないかと思うときがある。まだ酔っ払ってるからひゃー!とか奇声も発するし、いきなり皿の並べられたテーブルにダイブしてみたりするし、だらだらくだらないことをしゃべってみたりするし、でも全然面白くなくて、意識は実ははっきりし出していて、というか、ほんとうはずっと、シリアスなままなんだという、そういうことではないかと思うのである。そんな気分というのは、90年代のロックが向き合っていたロックそのものの歴史観でもあるだろうし、時代そのものの空気でもあったと思う。馬鹿騒ぎするには疲れすぎていて、だからといって、それでも明日はやってくるというような、そんなムード。ペイヴメントにとっては、たとえばそれは、「アメリカ人であることの身悶え」のようなこととして実感されたのかもしれない。それを聴いているわれわれにとっては、ざっくりと現代と向き合う現代人の重さみたいなことだったかもしれない。少なくとも自分にとって、90年代は「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」よりも「サマー・ベイブ」のほうが(自分のサイズには)リアルだったことは間違いないといえるし、そしてそれはたぶん、今2010年を生きる人にとっても、若干そうだったりするのでは?とも思うのである。ペイヴメントの音は、そんな気分に寄り添うように、ずっと鳴り続けてきたのである。

ギターは隙あらばぐるんぐるんブン回すわ、フロアは転げまわるわ、無責任な動きをひっきりなしに繰り返しているスティーヴ・マルクマスが、それでもその指先だけはとてつもなく繊細に弦を爪弾いている、その小さな光景に、とてつもないリアルを時を超えて浴びせられた夜だった。(宮嵜広司)
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