メタリカ @ さいたまスーパーアリーナ

メタリカ @ さいたまスーパーアリーナ
メタリカ @ さいたまスーパーアリーナ - pics by William Hamespics by William Hames
単独としては2003年以来、来日としては2006年のサマーソニックで『マスター・オブ・パペッツ』を完全再現したライブ以来となる、今回の日本公演。2008年『デス・マグネティック』発表後のツアー『ワールド・マグネティック』ツアーの一環として実現したこのライブは、さいたまスーパーアリーナ2発。初日の9月25日はソールド・アウト、今夜の26日は若干の当日券も出たというが、会場に入るとどこにそんな余裕があったのかと疑う、スタンディングのアリーナから天井まで伸びるスタンド席までみっちみちに膨れ上がった「黒一色」の世界。80年代の初期からピッカピカの本ツアーのマーチャンダイズまで、誇らしげに歴代のメタリカTシャツを着込み気合の入りまくった「メタリカ・ファミリー」((c)ジェームス・ヘットフィールド)で埋め尽くされていた。

開演までのSEが1曲終わるたびに巻き起こる大歓声は、メタリカとオーディエンスがどのような関係にあるかを今日も見せ付ける。それは、まるで王の降臨をわれわれがどれほど熱烈に待望しているか、それを王そのものに報告する儀式のようだ。熱烈な歓迎だけならもちろんいろんなアーティストのライブで観られる光景だが、そこに真の意味での尊敬が供されるのは、メタリカだけといってもいいだろう。そこにこのバンドのスペシャリティと歴史がある。

開始をじりじりと待ちわびる会場に、号砲がわりのSAXON「Heavy Metal Thunder」が轟く。場内が暗転するや沸きあがる怒号のような歓声の中、ステージいっぱいに設置されたスクリーンに映像が流れる。セルジオ・レオーネ監督作、クリント・イーストウッド主演の『The Good,The Bad And The Ugly』(『続 夕陽のガンマン』)だ。映し出されるのは、イーストウッドのマカロニ・ウェスタンでは何度も共演している俳優イーライ・ウォラックが荒野で倒れ込むシーン。倒れたイーライが背中に当たる違和感に振り返ると、それは墓石である。イーライ・ウォラック演じる男は、その墓石の向こうに、同じように墓石が並んでいるのを見る。カメラはゆっくりと上に上がっていく。するとそこが、丘いっぱいに無数の墓石の並んだ広大な墓地であることがわかる。イーライ演じる男は、その墓石の間を、ひたすら走る。何度も転びそうになりながら、息も絶え絶えに走るのである。

なんというオープニング! これは、まさしく『デス・マグネティック』な光景である。そして、それのみならず、そんな世界とそこに生きる人間のサバイバルがまさしくメタリカの世界であることを、この映像は告げるのである。

昨夜と同様、「Creeping Death」で幕を開けると、続けざまに「Ride The Lightning」「Through The Never」へ。ここでジェームス・ヘットフィールドが会場に向けて「昨日も来たヤツはどれくらいいるか?」と叫ぶ。いっせいに上がった手の海を一瞥するや、「じゃあ、今日は違うヤツをたくさん演るぜ!」というと、観客はほとんど沸点に。なるほどセット・リストは、昨夜のものから基本となる骨の部分は押さえながら10曲を変えてくるサービスぶりだった。

それにしても、というか、このバンドに対してはそれこそ一億回は書かれ倒されてきた言い回しなのだろうけど、なんと剛性の高い音か。恐ろしく密度の詰まった金属が、客席に向けてゴンッ!ゴンッ!と投げ出され、終わりなく高々と積み上げられていくこの感じ。もちろん、音そのものはそのような無機的なものではないのだけど(むしろ官能的なまでにオーガニックだ)、圧力としてはそうなのだ。なにものにも揺らがない精密の極みのような音塊。すべてのフレーズとすべてのアタックがガッガッと収まっていく(にしても、やはりラーズ・ウルリッヒの走るドラムもまたメタリカの魅力ですね)この圧の物凄さがやはりメタリカの唯一無比さであって、そしてそのことが、逆説的に「ヘヴィ・メタル」そのものを超えていくのである。

ちなみにステージ・セットは、そのようなストイシズムが見事に表現されたもの。ステージのフロントにはきっちり均等に並べられた3本のマイク・スタンド。その両端には、さらに1本ずつのマイク・スタンドがソデの花道用に設置されている。奥は2階建てになっているのだけど、左右横一線の簡潔なもので、そこにも3本のマイク・スタンドが均等に並べられている。そしてバックには、ステージ上の彼らをあますことなくとらえた映像を写す巨大なスクリーンが左右幅いっぱいに設置されている。無駄な装飾は一切ない。というか、生半可なデコレーションなど何の役にも立たないのがメタリカであることを熟知したデザインだ。

そんな舞台の上を、シンバルを叩きのめすたびに眉間にいちいち皺を寄せるラーズ・ウルリッヒをセンターに、ジェームス、そしてカーク・ハメット、ロバート・トゥルージロの3人はたくみなフォーメーションで都合8本のマイク・スタンドの間を行き来していく。猛烈な火柱がスタンド席まで熱くさせた「One」、カークのせつなすぎるギター・ソロからなだれ込んだ「Nothing Else Matters」などなど、観客失禁のシーンが幾度も訪れる。そんな中、このツアーが、メタリカにとって「メタリカとはそもそも何であるのか」そのことを彼ら自身が再発見する旅であることを痛感する。

アルバム『デス・マグネティック』が、リック・ルービンをプロデューサーに迎え、まさに「メタリカの原点」を自身にもういちど刻み込む作業だったことはよく知られている(リック・ルービンはたいていの場合、ベテラン・バンドに自身の魅力をもう一度思い出させるときに駆り出されるプロデューサーだ)。彼らがこよなく愛したバンドたちのカバー集『ガレージ・インク』を引っ張り出し、初期アルバムを聴きなおすことから始まったそのレコーディングが、『デス・マグネティック』をメタリカにとっての健全な再始動たらしめたのである。

よってこのツアーもまた、そのような原点へのメタリカ自身の再確認となることは必然だ。メタリカがメタリカであることよりそれ以外の可能性にも目を向けていた『ロード』や、メタリカがメタリカであることの限界に崩壊寸前だった『セイント・アンガー』といった作品からの選曲は、昨夜も今夜もない。

そして、ツアーは、まさにそのような「メタリカらしいメタリカ」がどれほどオーディンスによって愛され、慕われ、崇められているかを肌身をもって体験する機会にほかならない。この夜のさいたまスーパーアリーナを包んでいたあのなんとも温かい(ていうか凄まじく熱いわけですが)ヴァイブとは、それだったと思う。アンコール、クイーンの「Stone Cold Crazy」が演奏された瞬間、体中の水分を涙に変えてしまったファンも多かったに違いない。

ライブ中、何度も何度も促された大合唱を、まさに大合唱としてレスポンスした2万人のオーディエンスに向かって、ジェームス・ヘットフィールドが最後に「メタリカ・フィールズ・グッ!!!」と言い放って満面の笑みでステージから去っていったのが、なんとも印象的だった。(宮嵜広司)


9月26日のセット・リストは以下のとおり。

Creeping Death
Ride The Lightning
Through The Never
Disposable Heroes
The Memory Remains
That Was Just Your Life
Cyanide
Sad But True
The Unforgiven
...And Justice for All
One
Master Of Puppets
Fight Fire With Fire
Nothing Else Matters
Enter Sandman
(Encore)
Stone Cold Crazy
Motorbreath
Seek & Destroy
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