開演前に「第一部の公演中はルーファスがステージに登場し、そして退場するまで拍手と歓声はご遠慮ください」と何度も場内アナウンスされるという、異様に張りつめた空気の中で始まったのがルーファス・ウェインライトの2年ぶりの来日公演である。拍手と歓声を拒むというコンセプトはもちろんルーファス自身の意向である。この日のショウは二部構成。第一部は新作『オール・デイズ・アー・ナイツ:ソングス・フォー・ルル』を連作歌曲としてルーファスがピアノで弾き語るセクションで、第一部において彼が「拍手と歓声を拒否」したのはそれが極度にコンセプチュアルなアート、一種の「儀式」のようなものだったからだ。
一筋のライトがグランドピアノの上に落ちるだけの極端にシンプルなステージ、その静まり返った空気の中を舞台下手からルーファスが静かに、まるでスローモーションのように登場する。黒のロングドレスと黒のロングケープを身に纏った彼が、長い長いケープの裾(3メートルくらいあった)裾を引きずりながらゆっくりとピアノに向かって歩み寄る様は、まるで大野一雄の舞踏を観ているようだ。
スクリーンにはアルバムのジャケットも手掛けたスコットランド出身の映像作家、ダグラス・ゴードンの映像が流れる。黒く縁取られた「目」のアップが瞬いたり、涙を流したり、じっとこちらを見つめたりするという、そのどこか禁忌や深い哀しみや思索を感じさせる映像をバックに、文字通り流れるようにピアノを弾き、歌うルーファス。ある時はテノール、ある時はファルセット、そしてある時は老女の呻きのようにも聞こえるその歌声は、生身剥き出しのルーファス自身でもあるし、神聖な別の「何か」が憑依降臨した結果のようにも聞こえるものだった。何度も途中で気持ちが昂り、拍手や歓声でもってその昂りを解放したくなる衝動に駆られたが、掌にツメが食い込むくらいの勢いでぐっと自重しやり過ごすしかない。
約1時間で第一部は終了し、再びスローモーションのようにルーファスが下手へと消えていく。長い長いケープが全て幕内に消えるのを待って、会場には割れるような拍手とどよめきが轟く。どこかほっとした安堵の空気と共に少し温度が上がったようにすら感じる。ここで15分程度の休憩が挟まれるのだが、この休憩はもちろんルーファスのためであり、同時に私たち観客の緊張状態を解きほぐすにも必要不可欠な時間だったように思う。
そんな休憩をはさんで始まった第二部は、第一部とは全く異なる内容とムードのものになった。そもそもルーファスという人は非常にフレンドリーでウィットに富んだおしゃべりなエンターテイナーでもあって、この第二部はそんな彼の笑顔と挨拶と共に幕を開ける。グランドピアノだけのステージに変化はないが、漆黒だったバックスクリーンには赤やオレンジ、黄色や緑とカラフルな色の変化が映し出され、ルーファスもオレンジのパンツに黒のロングTシャツ、そしてオレンジのストールというカジュアルな装いに変身している。ちなみにこのパンツは日本で買ったそうで「だからジャパンツだよ!」なんてジョークまで飛び出し、会場は第一部では考えられなかったような笑いに包まれる。
第二部も引き続きルーファスのピアノ弾き語りで、ただしこちらは彼のオールキャリア&カバー曲も含むセットだ。この第二部で印象的だったのは、ルーファスが曲毎にそれぞれの曲に対するエピソードを語っていくことだった。シームレスで一編の絵画のようだった第一部とは対照的に、彼はこれから演る曲が彼にとってどんな意味を持っていて、どんな気持ちでそれを弾き、歌おうとしているのかを、私たちに言葉で丁寧に伝えようとしていた。
ジェフ・バックリィへの敬意と共に捧げられた“ハレルヤ”。「僕はパリと東京に同じ空気を感じるんだ。それは多分、哀しみというものだと思うんだけど」と言って歌われた映画『ムーラン・ルージュ』の“Complainte de la Butte”。ミュージシャンだった父親の思い出を少年期の自分のエピソードと共に披露した“ディナー・アット・エイト”。2人の才能あふれる妹に捧げた“リトル・シスター”。再び日本に来れたことに対する感謝と共に歌う “シガレッツ・アンド・チョコレート・ミルク”。
そしてアンコールのラストでルーファスが語ったのは今年1月に亡くなった彼の母、ケイト・マクギャリーに対する想いだった。ルーファスは笑顔で母に対する感謝の気持ちと愛を述べてショウを締めくくったわけだが、最愛の母を失った絶望を乗り越えて彼がその笑顔の境地に達するまでどれだけの葛藤があったかは言うまでも無い。『オール・デイズ・アー・ナイツ:ソングス・フォー・ルル』は母を亡くした彼の哀しみと葛藤そのもののアルバムだったと言っても過言ではないし、今日の漆黒の第一部とは、まさにルーファスにとって「弔い」にも似た意味を持つものではなかったか。
2008年の来日公演でルーファスが見せたコンセプチュアルでポリティカルですらあった圧巻のアート・ショウとは対照的な今回のライブは、言わば「私家版ルーファス・ウェインライト」である。ルーファス自身の魂の治癒と再生。その過程を目の当たりにする、あまりにも親密で痛切な2時間だったと思う。(粉川しの)
ルーファス・ウェインライト @ JCBホール
2010.10.05