途方に暮れてしまうほど果てしない逡巡を内在しながら、しかし執念と呼ぶべき根気強さの説明に満ちていて、そこに立ち会わせた人々をすべて確かなカタルシスへと導くという、とんでもないライブだった。こんなご時世の、GW明けのド平日の夜に、さいたまスーパーアリーナを最上階まで埋め尽くさせる歌とは、ポップ・ミュージックとはどういうものか。それをまざまざと見せつけ、心の奥底からの歓喜に打ち震えさせる。もう馬鹿のようにこう思う。ミスチルは凄い。ありとあらゆる場所で語り尽くされ、理解していたと思い込んでいたはずの凄さを上回るほどに凄い。
本来ならツアーのファイナル・シリーズとなるはずだった今回の『Mr.Children Tour 2011 SENSE』さいたまスーパーアリーナ公演だが、周知の通りの災害によって残念ながら各地ではいくつかの公演が見送られることになり、和歌山・大阪公演に関しては5/14・15の京セラドーム大阪で振替公演が行われることとなった。そのため、本レポートは公演内容のネタバレについてはなるべく控えて進めてゆくけれども、特に振替公演に参加予定の方は、閲覧にご注意を。
そういう事態の中でのツアーということもあって、バンド自身にとっても、無論ファンにとってみても、公演の意味が少なからず変わってしまった部分はあるだろう。災害後、売り上げを義援金に充てる新曲“かぞえうた”が発表されていることからも、それは明らかだ。ところが今回、あの災害があったからミスチルの歌の聴こえ方が変わってしまった、と残念に思えてしまうような場面は、欠片も見当たらなかった。いや、聴こえ方は確実に変わっているはずなので、歌がまったく色褪せず、むしろより力強いエネルギーを放っていたことに驚かされた、と言うべきだろうか。
そもそも、各メディアでのメンバー露出によるプロモーションが行われなかった最新アルバム『SENSE』は、それ故か内容自体が非常に説明的であり、桜井が自らの内面の深層にダイブする丸裸の心情吐露から、ひとつずつ、虚飾のない身近で確実な手掛かりだけを頼りに揺るぎない希望を獲得してゆく作品だった。ノン・プロモという選択が、むしろそういう作品を生み出すための条件として予め戦略に織り込まれていたのではないか、と勘繰ってしまうほどである。
だから尚更、『SENSE』の全貌がより明らかにされるステージが各地で見送られてしまったことは残念に思えて仕方がないが、やはりその内容は極めて深遠で、かつ説明的なものであった。『SENSE』の楽曲群を更に補足説明するような往年の名曲群が選び抜かれ、つまりミスチルのディープ・サイドと、ごくごく身近な風景の中で掴み取ってくる幸福と、音楽という手段を通して繋がってしまう「僕と君」の奇跡的な瞬間を描き出してゆくステージだったのである。
そういうセット・リストの中で気づかされたことは、「我々の生活はもともと孤独だったし、途方に暮れていたし、疲れ果てていたし、自分本位な上にそんな自分が嫌だったし、つまり全体的にしんどかった」ということだ。ミスチルの歌は、心の奥底にへばりついて離れなかったメロディと歌詞によって、鮮やかにそのことを思い出させてくれる。記憶は、いつでも知らずのうちに苦しみの重さを押し流そうとする。そして「あの頃は良かった」という、生き延びたが故の都合のいい結果論だけが残されてしまうわけだが、違うのだ。今の状況を踏まえて言えば「災害があって辛い」というのは確かに真実だとしても「今までは辛くなかった」というのは錯覚なのだ。ずっと辛かったのだ。それを、年季の入ったどっしりとしたバンド・グルーヴに小林武史の美しいピアノや華々しいシンセ音をフィーチャーした歌で、描き出してくれる。まったく、なんというメカニズムのステージだろうか。
「見方次第で世界が変わる」というテーマの優れた歌は数多く存在するし、そのテーマを力強く輝かせることが出来るのは音楽の素晴らしさだ。ミスチル・桜井もそういうテーマの歌をいくつも歌ってきた。しかし今回のミスチルはそうではない。しんどいものはどこまでもしんどくて、それを見極めようとする執念が道端に落ちている小さな幸福までも見逃すまいとしている。丹念に心情を暴き、日常の風景を言葉とメロディに変換してきた先の到達点が鳴っている。5月10日というこの日の日付は、1992年にミスチルが『EVERYTHING』でメジャー・デビューを果たした日であり、桜井は「19年目という半端な記念日ですが」と笑いを誘っていたけれど、リスナーの胸の内にへばりついたメロディまでも利用してより深みへと潜行し、新しいポップ・ソングのエネルギーを発見してしまったミスチルの、活動のスケールとそれ故の先駆者ぶりにはつくづく頭が下がった。
何しろそんなふうに練り上げられたステージなので本編だけでも完璧と言えるものだったが、更に多幸感に満ち溢れた音楽の共有と聴く者の現実に働きかける歌の力がひたすら放たれ続けたアンコールはまったくとんでもなかった。ミスチルの歌を愛するファンからの膨大なエネルギーを呑み込んで、その積層型の信頼関係さえも見事に表現に盛り込み、驚くべきことにミスチルは未だ成長の過程にある。改めて言うまでもないことだが、しんどい思いを分かち合いながら積み重ねてきた関係の中で、またこうして共に歌うということは、希望なのだ。(小池宏和)