ゼムやシン・リジィのオリジナル・メンバーとして知られるエリック・ウリクソンが他界

ゼムやシン・リジィのオリジナル・メンバーとして知られるエリック・ウリクソンが他界

ゼムやシン・リジィのオリジナル・キーボードとして知られるエリック・ウリクソンが7月13日に他界した。エリックはイタリアにある自宅で息を引き取ったという。享年68だった。

シン・リジィの初代マネージャーだったテリー・オニールやアイルランドのミュージシャンのボブ・ケリーがエリックの死を認めているが、死因について明らかにしていないとアイルランドの音楽誌のホット・プレスが伝えている。

北アイルランドのベルファストで生まれ育ったエリックは1964年にザ・ギャンブラーズという地元のバンドでオルガンとキーボードを担当していたが、当時ベルファストのホテルでR&Bクラブを開設したヴァン・モリソンが自身のバック・バンドを探していたところ、ギャンブラーズの面々が目に留まり、ヴァンは中心的メンバーとしてギャンブラーズを新たに率いることになった。再出発ということでバンド名を新たに決める際、エリックの提案で、1954年のアメリカのSF映画『放射能X』の原題(『Them』)をとって、バンドはゼムと命名された。

その後、ゼムのライヴはベルファストで大人気となり、デッカとのレコード契約にありつくが、エリックは未成年だったため、両親が代行して契約しなければならないところを両親に断念させられてしまうことになった。なお、ヴァンもまた未成年だったが、ヴァンは父親に契約署名の代行をしてもらうことに成功し、契約できなかったエリックはグループを脱退せざるを得なくなった。ゼムはその後、ビート・ロックの人気グループのひとつとなり、ザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・キンクスらとともにアメリカを席巻したブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドのひとつとしても注目されることになったが、メンバー間の取り分の意見の衝突から1966年にアメリカ・ツアー中に解散した。

エリックはアイルランド、イギリス、ドイツなどでさまざまなグループを組んでは活動を続けたが、66年にゼムに参加していたエリック・ベルとダブリンのクラブで69年に再会し、意気投合してバンド結成を決意し、別なクラブへと流れたところ、その店でオーファネッジとして演奏していたフィル・ライノットとブライアン・ダウニーに惚れ込み、そのままこの4人でシン・リジィが結成された。

バンドは1970年にファースト・シングル"農夫"をリリースしたが、エリックは金銭的な窮状のためバンドを脱退し、普段の活動のベースとなっていたドイツに戻ることになった。シン・リジィはその後デッカと契約し、ファースト『シン・リジィ』を71年にリリースし、やがて75年の『ファイティング!!』や76年の『脱獄』でブレイクを果たすことになった。

その後のエリックはゼムの再結成に参加した後、イタリアに移り住んでからは自らゼム=ザ・ベルファスト・ブルース・バンドを結成し、「プログレッシヴR&B」としてライヴ活動を続けていた。
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