彼の手掛けた小説『祐介』では、喉元に引っかかっているものを丹念に眺め回す巧みな比喩表現と、ジェットコースターのようにエピソードを駆け抜けるスピード感が、ある種の爽快な読了感をもたらしてくれた。しかし、日記である『苦汁100%』や最新刊『苦汁200%』にはその爽快感がほぼない。鋭敏すぎて生きにくいことこの上ない彼の感受性が捉えたあれやこれやを、駄洒落も絡めながらどうにか書き留めておこうとしているだけだ。楽曲制作やライブ、執筆活動やラジオ/TV出演といった多忙なスケジュールに追われ、出来事や食事のメニューを簡潔に箇条書きにしているときほど、行間から彼の疲弊感が滲み出てきて、読んでいるこちらにまで重苦しさが伝わるようだ。例えば、2017年3月8日の一部を抜き出してみると、こうである。
事務所で少し寝て、スタジオへ。ようやく決まったセットリストで通してみると、課題が山積みで、まるでオブジェみたいになった。どっかに展示したろかー! それで、良い具合の間接照明当てたろかコラ。作品名は「嘆きの山」で。(『苦汁200%』,p23)
切れ味鋭い表現を獲得するまでの過程で、尾崎世界観はこんなふうに悶え苦しんでいる。ユーモラスに書き綴ってはいるけれども、ズブズブと泥沼に足を捕らわれた重苦しさは払拭できていない。こうした、日々の隠しきれないネガティブな感情をしっかり踏みしめることで、完成した彼の歌や、楽曲や、文章は段階的に、研ぎ澄まされた切れ味を獲得するのだと思う。
表現者としての本分に向かう際に、どうしても湧き上がってしまうネガティブな感情。「生みの苦しみ」と簡単に言ってしまえばありふれた言葉になってしまうけれども、それこそ十把一絡げには出来ない諸々の苦悩を、あの手この手で尾崎世界観は綴っている。それを誠実にしたためることは、もしかしたら完成した音楽作品やエンターテインメントよりも、彼と同様に日々を悶え苦しんでいる人にとっての救済になりうるのかもしれない。「いい話」として小綺麗に纏まったブログ記事でもなければ、インスタ映えするような日々のトピックの上澄みでもない。むしろ現代生活が見落としがちな大切なものを、尾崎世界観は「日記」という表現でキャッチしているのだ。
もうひとつ、『苦汁200%』で面白いのは、尾崎世界観という個人の興味の向かう先である。「なんでそのときに、よりによってそんなことに興味を奪われているんだ」というリアルなドキュメンタリーとしての面白さが、顔を覗かせている。たとえば、バンドメイトの小川幸慈と野球観戦に出かけた時には、後ろの座席にいた会社員の上司・部下の力関係が反映された会話が気になってしまう。KANA-BOONの谷口鮪と出かけた際には、飲食店でいい雰囲気になっていたカップルの言動に注目してしまう。
挙げ句の果てには、8月11日の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2017」クリープハイプ出演から翌12日の「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 in EZO」ソロ出演というハードスケジュールをこなした夜に、なぜか空港のバーで起きた事件を嬉々として書き綴ってしまう。普通のブログ記事やSNSの投稿なら、間違いなくフェス出演の話題を最大のトピックとして取り上げるところだろう。
しかし尾崎世界観の日記はそうではない。忙しない日々の中でも、イラッとするような、或いはモヤっとするような「感情の種」のようなものを、言葉を用いて大切に育て上げようとする。生身の人間の心の機微にこそドラマを見出してしまう彼の感受性が、『苦汁200%』にはなみなみと注がれていて、その「感情の種」はまたいつしか切れ味鋭い音楽として、また文章として、花を咲かせるのではないかと期待させて止まないのだ。(小池宏和)