ASIAN KUNG-FU GENERATIONの新曲“解放区 / Liberation Zone”は、かなり大胆な構成の曲だ。前半は「ザ・アジカン」というべきロックサウンドとメロディによって展開していくが、途中で突如ポエトリーリーディングが始まり、《解放区/フリーダム》の大合唱で終幕を迎える。たくさんのアイデアが詰まった、実にドラマティックな4分15秒だ。
ポエトリーリーディングに近い手法を取り入れた曲はこれまでにもあった。例えば、“新世紀のラブソング”では、Aメロのボーカルの旋律において、音程の高低による抑揚が抑えられている。それによってサビの開放感が際立っている。また、ベックの同名曲を日本語でカバーした“Loser”(『ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN COMPILATION 2013』に収録)でも、Aメロにポエトリーリーディング風のラップがある。その軽やかさで以て内側で煮える怒りが表現されていた。
一方、今回の“解放区”におけるポエトリーリーディングはどちらともやや質が違う。抑揚を抑えたメロディというよりかは、むしろ(ポエトリーリーディングという言葉通り)詩の朗読に近く、かなり淡々としている。また、ここでは主人公の感情ではなく、周辺に広がる光景、イメージのみが歌われている。まるで小説のイントロダクションみたいだ。
このように、あえて俯瞰的な表現を挿し込むことにより、「ASIAN KUNG-FU GENERATIONの“解放区”という曲を聴いている」という狭い意識を知らず知らずのうちに持っていたリスナーを一旦クールダウンさせ、現実に還している。このポエトリーリーディングがあるからこそ、私たちは自分の人生と“解放区”という曲をより密接に結びつけることが可能になっているのだろう。
また、曲の始まりではなく、後半以降にポエトリーリーディングを配置することによって、その直後に控えるシンガロングもより本質に近づいた。「自由」について歌ったこの曲において、シンガロングは民衆の「束」であってはいけない。みんなでひとつになりながら歌うものではなく、一人ひとりが声を上げることによって形作られるものでなければならない。それを見事に実現している。
アジカンのメンバーはライブの場でも「もっと自由に楽しんで」と私たちに伝え続けている。それは、周りの人と同じようにステップが踏めているかどうかなんて気にする必要はないという意味であって、彼らがこの曲で描いている「自由」もそういう種類のものだ(もちろんライブに限定される話でなく、もっと広義だが)。“解放区”とは、私たちがこの時代を生きるうえで必要となる本当の「自由」の形である。(蜂須賀ちなみ)
アジカンが示した本当の「自由」の形――“解放区”のポエトリーリーディングで切り開いた新境地
2019.06.10 15:00