公開から3週間を経てなお大ヒット中の映画『天気の子』。前作『君の名は。』に続いて新海誠監督と再びタッグを組んでサウンドトラックを手掛けたRADWIMPSの楽曲の中でも、重要な場面で使用されている――というか場面の象徴の如く響き渡ってくる“グランドエスケープ (Movie edit) feat.三浦透子”の存在が、映画を観終えてから日を追うごとに強まっている方も少なくないことと思う。筆者もそのひとりだ。
公開前の予告動画でもその一部が公開されていた“グランドエスケープ”。ミクロな心の揺らぎ=「静」から雄大な感情の絶景=「動」へと遷移する、映画のサウンドトラックならではの自由かつ大胆な楽曲構成、エレクトロとアコースティックを高次元で融合させたサウンドメイキングも、この曲の大きな魅力であることは間違いない。
しかし、この楽曲が我々の心を捉えて離さない最も大きな要因は取りも直さず、運命に翻弄される「僕ら」の脆く儚い情熱を、そしてそれでも屈することのできないギリギリの意志を、真っ向から受け止めて祝福してみせたこと――つまり「今この瞬間を生きる者すべてへ向けた聖歌」へと昇華した点にある。
そしてそれは、生々しくリアルな感情の機微を歌いながらも「表現者のエゴ」を見事に漂白しきって清冽かつ伸びやかに歌い上げる、三浦透子のボーカリゼーションとは不可分のものだった。
「役者の歌声というよりも、世界そのものの響きのような声」(新海監督)、「発せられた瞬間に、どんな天気をも晴れにしてしまうような圧倒的で不思議な力を持っていました」(RADWIMPS・野田洋次郎)と両者とも絶賛を惜しまないその歌声は、半径30cmの孤独も、クラップ鳴り渡るスタジアムクラスの高揚感も1曲の中で体現してみせる。
予告映像から想像していた同楽曲の透度と輝度は、映画の物語性と一丸となって押し寄せる超弩級の生命力とスケール感によってあっさりと上書きされ、我々の人生そのもののサウンドトラックとして日常に寄り添い、魂を突き動かしてくる。
女優として着実にキャリアを積む中、実に1年ほどに及ぶオーディションによって選び抜かれ、新海監督×RADWIMPSのコラボレーションに、そして日本のポップミュージックに新たな上昇気流をもたらした三浦。
8月9日には新海監督の編集による『天気の子』特別映像とともに、『ミュージックステーション』でのテレビ初パフォーマンスも予定されている。新しい物語が始まる予感に、抑え難く胸が躍る。(高橋智樹)