【連載】ロック恋愛♂解体新書♀ あいみょん編

【連載】ロック恋愛♂解体新書♀ あいみょん編
【連載】ロック恋愛♂解体新書♀ あいみょん編
世にラブソングは多く存在していて、そこに描かれる恋愛観もまた様々である。あなたが聴いているそのラブソングのなかで、いったいどんな主人公が恋をしているだろうか。なかなか決断できない女々しい男の子? 24時間ずぅっと大好きな人のことを思い浮かべているピュアな女の子? すぐに妄想をしてしまう男? お酒を飲まないと本音が言えない女? この連載「ロック恋愛♂解体新書♀」では、個性的なアーティストの楽曲からどんな恋愛観が読み取れるのか、ラブソングをもとに解体新書のごとく紐解いていく。
その第2回目では、あいみょんのラブソングに迫る。


あいみょんの描くラブソングはなぜ多くの人の心を捉えるのだろうか。なぜこれほどの共感と切なさを生むのだろうか。あいみょんは様々な視点で「恋愛」を描いているが、過去に彼女がインタビューで語っていた言葉で印象的だったのが、「男性が書く女々しいラブソングが好き」だというもの。言い換えれば「女性の書く恋の歌はどこか吹っ切れている」ということで、それはそのままあいみょん自身の作詞にもつながることのように思える。

例えばメジャー2ndシングルの“愛を伝えたいだとか”は、あいみょんの男性目線ソングの中でも、その「女々しさ」をナチュラルに表現した楽曲だ。《明日良い男になるわけでもないからさ/焦らずにいるよ》と達観したかのような言葉を吐いたそばから《今日は日が落ちる頃に会えるの?》と、「君」を思う思考から抜け出せないでいる。このモヤモヤとした感情表現は男性目線だからこそはまる。もし女性が同じ状況で「君」を思っていたとしたなら、《焦らずにいるよ》と言った後には、好きな映画を観に行くとか、部屋の掃除をするとか、新しい洋服を買ってみるとか、「君」のことを考えない時間を意図的に作る行動に出るんじゃないかなと思う。男性だからこそのメランコリーは、女性リスナーからすれば、それはそれでグッとくる。


《「もう離れないで」と/泣きそうな目で見つめる君を》、今もずっと記憶に焼き付けたまま《抱きしめて 抱きしめて 離さない》と歌う“マリーゴールド”も、《君はロックなんか聴かないと思いながら》、《僕はこんな歌であんな歌で/恋を乗り越えてきた》と、自分を知ってほしいという切実な思いを歌う“君はロックを聴かない”も、男性ゆえのメランコリーが漂うからこそ、普遍の名曲足り得るのだと思う。考えてみると、女子同士が恋愛トークをする時には、あまり過去のことは語らないような気がするし、現在進行形で付き合っている人との過去の思い出も、それほど話題に出てくることはない。「あ、こんなところが嫌だった」とかの、後々の笑い話としては話題には出てくるけれど(笑)。ひとりで思考する時も、過去を懐かしく思い出すよりも、現在とこれからのことのほうが優先だったりして、まあ、男女の差というだけで語れることでもないとは思うけれど、その違いはなかなか面白い。
恋愛に対する切実な感情というのは、男性だろうと女性だろうと共通してあるものだけれど、過去の記憶に対するロマンチシズムだとか、自分という人間をわかってほしいという繊細な思いは、やはり男性が語るほうがなぜだかしっくりくる。で、女性はそんな男性の感情に初めて気づいて「愛しい」と思う。そんな男女の漠然としたズレや違いを肌感覚で理解しているのが、あいみょんなのだと思う。


一方、女性目線の「吹っ切れ」がもっともエキセントリックに表現された名曲といえば、“貴方解剖純愛歌 ~死ね~”。この歌詞がもし男性の一人称で歌われていたなら、ちょっと違った感触になっていたと思う。《死ね。 私を好きじゃないのならば》という歌詞は主語が「私」だからこそ、どこかスカッとした潔さを感じさせるのだが、これが「僕」だったときには、どこか妙に湿度が高まってしまう。女のほうがジメジメしているとかしつこいとかいう一般的に言われてきた性差の概念は、ここには存在しない。《あなたの両腕を切り落として 私の腰に巻き付ければ/あなたはもう二度と 他の女を抱けないわ》という歌詞は確かに猟奇的で恐怖を感じさせるけれど、言葉の強さが、そのまま額面通りではないのが女子だったりもするし。ただ「まあ、愛情の裏返しですから」とニッコリ笑ってみても、たぶん男子には理解できないことかもしれず、その受け取り方の違いも、あいんみょんは織り込み済みなんだと思う。


この男女の間にある、表面化しづらい「違い」を自覚し、なおかつ、そこを面白がれる作詞家であるということは、あいみょんのシンガーソングライターとしての強い個性のひとつだと思う。同じ恋愛をしていても自分と相手とでは見ている景色が違うということ、だから思い描く未来も違うということ、そしてその「ズレ」こそが、恋愛における永遠普遍のテーマなのだということを、リスナーもまた、あいみょんの楽曲を通して実感するのである。あいみょんの描くラブソングには、常に男と女の「わかり合えなさ」が根底にあるような気がする。それをネガティブなものとして描くのではなく、前提として、「私」と「僕」とは違うのだという認識に立っているという意味で。
顕著なのは1stフルアルバム『青春のエキサイトメント』に収録され、ライブでの「セックス!」のコール&レスポンスでもおなじみの“ふたりの世界”だ。《いつになったら私のことを/嫌いになってくれるかな》なんていう言葉が、まさに幸せの只中にいる「私」から出てくるのだ。《そのシワシワな笑顔とかすれた声がある生活に/満たされて 幸せで 今がある》というのに。この感情は、女子同士でも具体的に共有するのは難しいけど、なんとなく「わかる」。きっとその横にいる当の男子にはまったく「わからない」んじゃないかと思うけれど、このちょっとした隙間、共有できない感情にこそスポットを当てるあいみょんの恋愛ソングは、だからこそ、聴き手に様々な解釈をもたらすし、時間を経て聴くことによっても、まるで違った思いを抱いたりするのである。それこそが、あいみょんのラブソングに奥行きをもたらしているものの正体だとも思う。


そうした奥行きのある恋愛ソングは、何よりあいみょんの「感覚」に裏打ちされているからこそ、よりシンパシーを感じられるのだ。理屈よりも感覚に訴えかける楽曲として、その言葉が記憶に残っていく。2ndフルアルバム『瞬間的シックスセンス』に収録された“恋をしたから”などは、珍しくストレートに女性目線で恋をした苦しさを歌にしている楽曲だ。ここで「恋」の感情に、どんな逃げ場も用意せずにまっすぐに向き合うのもまた、あいみょんの描く恋愛曲の強さであり脆さであり、この逃げも隠れもしない恋心の描写には、多くの女性が共感することだろう。《さらに言えば私は貴方を/貴方が思う以上に大好きで/好きで 好きで 好きで/今 とても 辛いのです》というまっすぐで、それ以上の表現はしようがないと思われるこの歌詞は、一見すれば「女々しい」のかもしれないけれど、ここまで言い切れるのはやはり女々しさではなく潔さだと思うのだ。その「感覚」が、ラブソングにリアリティを生んで、私たちはあいみょんの歌にドキドキさせられるのだ。(杉浦美恵)

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