【連載】ロック恋愛♂解体新書♀ 宮本浩次(エレファントカシマシ)編

【連載】ロック恋愛♂解体新書♀ 宮本浩次(エレファントカシマシ)編
【連載】ロック恋愛♂解体新書♀ 宮本浩次(エレファントカシマシ)編
世にラブソングは多く存在していて、そこに描かれる恋愛観もまた様々である。あなたが聴いているそのラブソングのなかで、いったいどんな主人公が恋をしているだろうか。なかなか決断できない女々しい男の子? 24時間ずぅっと大好きな人のことを思い浮かべているピュアな女の子? すぐに妄想をしてしまう男? お酒を飲まないと本音が言えない女? この連載「ロック恋愛♂解体新書♀」では、個性的なアーティストの楽曲からどんな恋愛観が読み取れるのか、ラブソングをもとに解体新書のごとく紐解いていく。
その第7回目では、エレファントカシマシ宮本浩次のラブソングに迫る。


エレファントカシマシにはラブソングの名曲が沢山ある――と言うと、その孤高で漢らしい彼らの姿勢から、意外に思う人も多いかもしれない。しかし、エレカシの音楽は、強く、温かく、尊い愛に溢れている。例えば“それを愛と呼ぶとしよう”はファンの中でもラブソングとして人気が高い。

≪寄り添いたくてこうして二人でいること、それを愛と呼ぶとしよう≫

「好き」だとか「愛している」といった直接的な言葉はなくとも、聴いていて胸の中がポカポカと温かくなってくる曲だ。エレカシのラブソングは「恋愛」というよりも、もっとどっしりした、人生において欠かせないものとして「愛」が描かれている。だから恋愛によくある駆け引きなんかとは一番かけ離れたところにあるけれど、「傷つけ合うこと」は宮本浩次が歌詞にする愛の中にも含まれる。“それを愛と呼ぶとしよう”には≪いつかは傷つけてごめんね≫、“愛の日々”には≪悲しみさえ胸に突き刺さるような/ふたりだけの愛の日々を≫とあるが、傷つけ合うこと=別れというわけではない。それでは、どんな時に別れが見えてくるのか。その答えは“リッスントゥザミュージック”の歌詞を見るとわかりやすい。

≪なぜなら僕は僕の未来を 君は君でいくつもの夢を/それぞれの思い溢れ始めた 出会ってから1年≫

井の頭公園のベンチに腰掛けるふたりは確かにまだ想い合っているのに、別れの気配が漂い始めている。それは、それぞれが思い描く「未来」が違う場所にあるから。つまりエレカシのラブソングにおける愛の形とは、運命共同体として同じ道を歩んでいくことなのだと思う。

また、武骨で漢気があるけれど器用な人間じゃない、そんな宮本そのままのイメージがラブソングに出てくる主人公にも投影されているが、そこに寄り添う相手像が描かれる時に「やさしさ」という言葉がよく使われるのも特徴的だ。

≪敗北と死に至る道が生活ならば/あなたのやさしさをオレは何に例えよう≫(“あなたのやさしさをオレは何に例えよう”)

≪ああ お前のやさしさ 頭に思い浮かべて≫(“やさしさ”)

これらの歌詞から伝わってくるのは「やさしくしてほしい」といった願望ではなく、上がり下がりの激しい人生の中で、安定した安らぎを求める気持ち。愛は人生に欠かせないものだけれど、人生に訪れる苦難は愛だけでは解決されない場合もある。自分の足で歩まなければならない時に、安らぎを感じるような相手の存在や思い出が、一歩踏み出すための力に変わる。“悲しみの果て”で≪ただ あなたの顔が/浮かんで消えるだろう≫と歌われているのは、そういうことだ。だから“悲しみの果て”はラブソングであり、“笑顔の未来へ”と“四月の風”も間違いなくエレカシ流のラブソングと言えるけれど、運命共同体として同じ道を歩むのは必ずしも恋人だけとは限らない。≪あなたを連れて行くよ 笑顔の未来へ≫(“笑顔の未来へ”)、≪明日もがんばろう/愛する人に捧げよう≫(“四月の風”)。そんな歌詞から家族や友人の姿を思い浮かべる人もいるように、エレカシのラブソングの愛はもっと深く広いもので、相手が恋人であろうとなかろうと「誰かを愛するのは生きる力になる」という1つの真実が見えてくる。


≪「でも私は誰かを愛してる 愛してる」≫

“彼女は買い物の帰り道”は珍しく女性視点で書かれた曲だが、この女性は買い物帰りにふと、小さな頃の思い出と今の自分の姿を重ねている。もしかしたら過ぎ去った日々の方が眩しく思えたかもしれない。それでも最後は、愛を知った今の自分を肯定するのだ。運命共同体となって一緒に生きる人がいる人生の素晴らしさを、エレカシのラブソングは気付かせてくれる。(渡邉満理奈)

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