9本のMVを発表しているずっと真夜中でいいのに。は映像と共に何を語り続けているのか?

9本のMVを発表しているずっと真夜中でいいのに。は映像と共に何を語り続けているのか?
正体不明のアーティスト、ずっと真夜中でいいのに。(以下ずとまよ)。思えばずとまよの音楽の広がり方は他のアーティストと比べると、少しばかり趣を異にするものであった。

言うまでもなくアーティストにとって最も重要なのは、楽曲そのものの魅力だ。だがずとまよの人気に拍車をかけたのは楽曲の持つ力もさることながら、緻密に作り込まれたMVの存在も同程度に大きい印象を受ける。

事実、当時全くの無名であったずとまよをネットシーンの中心部に押し上げたきっかけとも言える出来事は、突如YouTube上に投稿された“秒針を噛む”のMVだった。そして以降もずとまよはアルバムの発売に先んじて新曲のMVを公開したり、一貫してMVのワンシーンを自身のアーティスト写真に使用していたりと、MVはずとまよを語る上で避けては通れない重要なトピックのひとつとして、今なお巧みに使用されている。

MVは依頼主からの具体的な指示の下、事前に伝えられたイメージに沿う形で制作されることがほとんどだ。だからこそMVに描かれている事柄は、ずとまよの中心人物であるACAねによる「歌詞」というメッセージだけでは収まり切らない深意と画期性が秘められている気がしてならないのだ。


まずは、ずとまよの全ての始まりとも言える“秒針を噛む”から見ていこう。言わずもがな、“秒針を噛む”はその後のずとまよの全体像を固めたとも言うべき、重要なMVのひとつだ。

中でもサビ部分における《このまま奪って 隠して 忘れたい》との印象的なフレーズや鏡を叩き割るシーンに顕著だが、“秒針を噛む”のMVは徹頭徹尾憂鬱な雰囲気に満ち満ちており、ピアノを主軸としてアップテンポに展開するサウンドとは対極に位置する代物である。

描かれているのは、行き場のない孤独感。MVの中心に据えられた少女は時折歌詞を口ずさむ以外は真一文字に口を結び、視線を落としている。無言の食卓に息苦しさを感じたり、キッチンを自身の居場所とするなど窮屈な生活を送っている彼女はそうした現状を打破しようと試みるも、解決策は一向に見つからない。そしてMVの終盤では《救いきれない 嘘はいらないから》の言葉と共に慟哭する姿が映し出され、物語は幕を閉じる。

この部分だけを見ると、“秒針を噛む”はさながら救いのないバッドエンドへ帰結する悲劇的なMVのようにも思える。

だが一転、“秒針を噛む”とは対照的なイメージで展開する“ハゼ馳せる果てるまで”にも目を向けると、“秒針を噛む”では語られなかった新たなストーリーが見えてくる。

異星人とおぼしき少女が人間の姿から脱する冒頭から始まり、その後は笑顔を振り撒いて感情の赴くままアイドルの如く歌い踊る様は、ずとまよにしては珍しいポップに振り切ったイメージを感じ取ることができる。中でも楽曲のリズムに合わせてダンスを披露するワンシーンなどは、その最たるものだろう。

しかしながらこの天真爛漫な少女をじっと観察すると、“秒針を噛む”にて一切の笑顔を見せず、壊れない現実の中で自分を演じ続けていた少女その人であることが分かる。その上で再度MV全体を注視すると、ダンサブルな“ハゼ馳せる果てるまで”は鬱屈した本心を解き放つことを夢想するひとりの少女の、壮大な現実逃避であるとも解釈することができるのだ。

明るく展開するサビの後半部分では《明日にはもう 忘れてしまうのに》と一瞬自虐的に現実を見据える少女。対して楽曲の最後では《異なる自分を愛していたいの》との希望的観測でもって締め括られる。一見全く異なる印象を受ける“秒針を噛む”と“ハゼ馳せる果てるまで”は、MVを介して楽曲を聴くことで歌詞だけでは語られなかった別の解を知ることができると同時に、ふたつのMVが地続きとなってひとつの物語を形成する稀有なMVでもあったのだ。


最後に、光と闇で織り成される幻想的なシーンが印象深い“Dear. Mr「F」”のMVを見ていこう。このMVで描かれているのは、ストレートに胸を打つ悲しき物語である。

MVは真っ暗な世界で孤独に生きる怪異「F」と、負傷してFの暮らす世界に転落した天使の偶然の再開から幕を開ける。詳しい描写は描かれていないが、《そもそも 住む世界が違うな》、《あの風車の 下でさ/待ち合わせしよって 約束した》との歌詞から察するに、Fと天使は別々の世界で暮らす本来決して交わることのない存在でありながら、定期的に顔を合わせる友人関係であったのだろう。

しかし《もう駄目だ もし触れたら/消えて無くなるんでしょ 真っ白に》と悲痛に歌われているように、「Fと天使との直接的な接触行為」は、F自身が消失してしまう禁断のトリガーでもあった。そしてふとした拍子に感情が理性を凌駕した結果、禁忌を破り触れ合ってしまい、天使はFの消滅と引き換えに元の世界に舞い戻った。

幽幽たる世界で生息するFと、青空の広がる明るい世界で生きる天使。MVはひとり悲しみに暮れる天使の姿をバックに流れる《ひとりで平気だけど 太陽はあかるいけど/きみの足跡は 消えないよ》との歌詞で締め括られる。もしもFの存在する世界において天使がFと同じ境遇で生きていたならば、悲痛な末路を辿ることもなかった。いっそのこと永遠に、闇に包まれた世界なら良かった……。そんな天使のたらればは“Dear. Mr「F」”(親愛なる「F」へ)というタイトルのみならず「ずっと真夜中でいいのに。」という名前とも強くリンクしているようにも感じられ、その悲劇的なストーリーに拍車をかける。


……ずとまよの歌詞はあまりにも独特だ。造語や特殊変換、果ては意味深な言葉の数々によって、聴く人によって異なる解釈ができる工夫が凝らされている。前述した“秒針を噛む”、“ハゼ馳せる果てるまで”、“Dear. Mr「F」”の3曲に関しても、歌詞を掘り下げるだけではACAねが伝えたい全体像を100%の正確さで把握することは難しい。

そこで活きてくるのがMVの存在である。そう。MVを隅々まで読み解くことにより得られる知見とは、歌詞だけでは理解し得なかった不明瞭な部分の補完なのだ。

既にいくつかのMVに触れた人も。ミステリアスな雰囲気に魅了され、何度も繰り返し観た人も……。先述した3曲のMVのみならず、現時点で公開されている他のMVにも今一度目を向けてほしいと強く願う。そこにはACAねの深意を解するための貴重な情報源が、きっと眠っているはずだ。(キタガワ)

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