「SUPER BEAVER・渋谷龍太」と「澁谷逆太郎」の2人が存在し、歌うことの意味とは?

「SUPER BEAVER・渋谷龍太」と「澁谷逆太郎」の2人が存在し、歌うことの意味とは?
SUPER BEAVERsumikaAmelieらを輩出した[NOiD]の設立9周年の当日・1月27日に、同レーベルから配信限定で1stデジタルシングル『sakayume』を突然リリースした澁谷逆太郎。「彼は何者なのか?」ということに関しては、既にご存知の方々も多いと思うが、念のために基本的な事柄をざっと紹介しておこう。澁谷逆太郎とは、SUPER BEAVERのボーカリストである渋谷龍太のソロプロジェクト。渋谷は、以前からこの名義で弾き語りによるライブをコンスタントに重ねていて、特典という形で音源を発表したことはあったが、正式な作品は『sakayume』が初めて。そして、2月28日(金)には2ndデジタルシングル『the curb』もリリースされる。

SUPER BEAVERは、今年で結成15周年。アリーナ会場の公演も含めた過去最大規模ワンマンツアーなど、様々な動きが既に発表されているのだが、このような中で澁谷逆太郎としての活動も新たな局面を迎えるに至った理由に関しては、「ひとりの人生に表現方法は複数あってもいい」と、BRAHMANOAUの活動を並行させているTOSHI-LOWに言われたのが大きかったという旨を、本人は語っている。そして、何よりも刺激を受けたのは、「SUPER BEAVERというバンドの真ん中で10年後、20年後も歌っていたいなら、ひとりで何かしてみた方がいい」という言葉だったらしい。つまり、「渋谷龍太のソロプロジェクト」であるという点は以前と変わらないが、SUPER BEAVERと、そのボーカリスト・渋谷龍太を鍛え上げ、進化させるための場としての役割を、「澁谷逆太郎」は色濃く帯びるようになったということだ。


この点を踏まえて澁谷逆太郎の作品に向き合うと、興味深いことがいくつか見えてくる。まず、サウンド面に関しては、SUPER BEAVERとは異なるアプローチが積極的に追求されていくことになるのだろう。既にリリースされている“sakayume”の楽曲制作にはMOP of HEADのGeorgeが参加していて、打ち込みトラックのアンニュイな空間の中で響き渡っている歌声は、バンドでの渋谷龍太のものとは趣がかなり違う。SUPER BEAVERの楽曲の大半は柳沢亮太(G)が作詞作曲を手掛けているので、作風に大きな違いが生まれるのは至極当然ではあるが、バンドサウンドとはまた別のアプローチを導入することによって、新しい表現を積極的に探究している様が窺える。

そして、歌詞に関しても目を引く点がある。柳沢によるSUPER BEAVERの楽曲の歌詞は生き方や人生観が明確に反映されていて、リスナーの心を鼓舞する「メッセージソング」として迫ってくることが多いが、“sakayume”の歌詞が我々にイメージさせてくれるものの中心にあるのは、端的に言い表すならば「物語」だ。戻ることのできない過去、後悔と胸の痛みが募るばかりの日々、いつの間にか離れていく心……複雑な心情と非情な現実に向き合いながら、出口が決して見つからない自問自答をひたすら繰り返している人物の姿が“sakayume”に耳を傾けるとありありと浮かぶ。以前から小説を執筆していて、読書家でもある渋谷は、澁谷逆太郎としての創作活動を通じて、独自の作風をさらに開花させていくことになるのではないだろうか。

Supremeとのコラボレーションが話題となったオートモアイによるアートワーク、X-girlなどのブランドの映像制作を手掛けるkohによるミュージックビデオなど、ビジュアル面についても以前からの交友関係を反映したものが既に展開されている。澁谷逆太郎の作品リリースは、まだ始まったばかりであり、今後に関してはおそらく本人にとっても未知数のところがたくさんあるのだと思う。しかし、ソロとしての新しい表現の探求が、何らかの形でSUPER BEAVERに反映されていくのは間違いないだろう。今後の活動も非常に楽しみだ。(田中大)
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