ライブカメラマンの話

ライブカメラマンの話

どうやったら、ライブカメラマンになれるんですか?

TEPPEIや橋本塁は、若い人にそうきかれることが多いという。
まあ、そうだろうな、というか、見ているとうらやましくて、
自分もやりたくなるのは、わかる気がします。

しかし、彼らはフリーランスであって、
「こうやれば確実になれますよ」なんて常道は、あたりまえだけど、ない。
ないけど、たとえば橋本塁は、元は某ファッション系雑誌の
社員カメラマンだった。で、会社員と並行してライブ写真を撮り始め、
軌道にのったあたりで独立した。
僕が初めて会った時はまだその社カメ時代で、
「他で仕事してるのが会社にばれるとまずいんです」ということで、
別の名前で撮っておられました。

で、TEPPEIは、大阪で専門学校に行っていた頃に、ピザ・オブ・デスの
みなさんのライブ写真を撮って、本人たちに持ち込み、
その写真を気に入ってもらえて、仕事として撮影を頼まれるようになり……
という形で、プロになった、と前にきいたことがある。
確か、三吉ツカサもそうだったと思う。彼の場合はBRAHMAN。
このパターン、結構あるみたいですね。

で。今さらですが、ふと気づいた。
TEPPEIくん、その、仕事になる前、最初にライブハウスで撮ってた頃って、
ご本人たちの許可はとっていたの?

きいてみた。
元気よく、「いいえ!」と、答えられました。

一番最初に撮ったのは、ピザのみなさんが、何バンドかで
大阪に来た時、トップで出たHUSKING BEEだそうです。
素人丸出しのコンパクトカメラで、いっそんのどまん前に
陣取って、撮ったそうです。

昔はおおらかだったんだなあ。というか、
言うまでもありませんが、絶対にマネをしないでください、みなさん。
写真を見てもらえるどころか、ボコボコにされても
文句言えない行為です、これ。
しかしなあ。TEPPEIは昔から、というか最初からTEPPEIだったことを
表すエピソードでした。

写真は、JAPAN JAMが終わった時に撮ったもの。
写真中央は楽屋カメラマン吉場正和、右は元社カメ、
左はボコボコにされて然るべきだった男。
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