前半のアレンジは、彼が『All Delighted People』や、『The Age of Adz』でも使っていた手法なので、何か新しいわけではないのだけど、ファンタジー感が倍増しているし、さらにそれが2分半過ぎたあたりから5倍くらいになる後半が圧巻で胸がばくばくする。オリジナルではむしろ抑えていた部分を遠慮なしで開放している。
このアルバムは、そもそも彼が幼い時に彼を置いて去ってしまった母親が亡くなったことについて歌った作品であり、アルバムの最後の曲では、その母親に本当の別れを告げようとしている。
そして耳に飛び込んでくる歌詞は、
「どうして僕を愛してくれないの」
である。
スフィアンはこの曲についてこう説明している。
「僕は母のことを色々な意味でよく知らなかった。だから、最後の曲で、母にどうやってさよならを言えばいいのか明確には分からなかったんだ。だから、曲の終わりでは、ピアノを弾くのを止めて、歌を歌うのを止めたんだ。僕が出すノイズ以上の何か大きな音で、僕は母を受け入れたかったから」
なので、オリジナルは、後半オーロラが見えてくるようなサウンドになっている。
それから、タイトルの"Blue Bucket of Gold”というのは、恐らく、オレゴンの言い伝えを元にしているのではないかと言われている――
1800年代の開拓者達が、小石をたくさん見つけ、銅だと思って持って帰ったのだそう。しかし、何年も経ってからそれが金だったことが判明。だけど、それが金だと分かった頃には、みんなそれをどこで見つけたのか思い出せなかったという。だから、いまだにその金がどこに眠っているのか、誰もわからないという話だ。
アメリカの神話と結びつけるところがスフィアンらしい。そして、この物語を自分と母の関係に当てはめたとすると、それは後悔にも受け取れるし、しかしそれは金だったと分かるという良い話にも受け取れる。
スフィアンの今回のライヴは、ステージの後ろに教会のステンドグラスのようなスクリーンがあり、そこに家族の写真などが映し出されていた。彼の曲はいつも強い宗教観があるので、そこに家族を映し出すのはとりわけぴったりだった。
今回のツアーでもまた面白い話をしていたけど、それを書くとすごく長くなってしまうので、ひとつだけ、まとめのようなことをさらっと言っていた。
「人生というのは本当に素晴らしいものなんだけど、でもそれと同じくらい辛いものでもある。だけど、今日はそれをこうやってみんなと分かち合えることを嬉しく思う」と。
このリミックスは、彼特有のファンタジー色が濃厚になっている。しかし、そのファンタジーの世界というのは、子供の頃からの悲しみから生まれたのではないかと思う。だから、そのファンタジーが美しければ美しいほど悲しみは深い。または悲しければ悲しいほど美しく聴こえる。